HISTORICAL PERSON · 2020年没

ミシェル・ピコリ

フランスの俳優・映画監督。舞台から出発して150本以上の映画に出演し、1980年にカンヌ国際映画祭最優秀男優賞、1982年にベルリン国際映画祭男優賞を受賞した。

生涯
2020年没
死亡地
フランス共和国(ウール県 / Saint-Philbert-sur-Risle)
出生地
フランス共和国(13区)
出典
世界地図
フランス共和国(ウール県)

伝記

ミシェル・ピコリは、フランスの俳優、映画監督である。ピッコリとも表記される。1925年12月27日にパリで生まれ、2020年5月12日に脳卒中のため94歳で死去した。舞台、映画、テレビで活動し、アート系の作品から大作まで、150本以上の映画に出演した。

父アンリ・ピコリはヴァイオリニスト、母マルセリーヌ・エクスペール=ブザンソンはピアニストという音楽一家に育った。父はスイスのティチーノ地方に由来する家系とされ、母方の祖父シャルル・エクスペール=ブザンソンは上院議員で急進党の資金源でもあった塗料業の大実業家だった。この祖父は、鉛白が労働者に鉛中毒を起こしたとして、労働組合の左派やクレマンソーから非難されていた。若いころのピコリの政治的な関わりは、この祖父の人柄への反発から理解されるという。俳優の修業はアンドレ・ボーエル=テローのもとで始め、のちにクール・シモンで学んだ。

1945年にクリスチャン=ジャック監督の作品に端役で出たあと、ルイ・ダカン監督の作品で映画デビューした。ただし初期に際立ったのは舞台で、ルノー=バロー劇団やグルニエ=ユスノ劇団、ウジェーヌ・イヨネスコやサミュエル・ベケットの前衛劇を上演するバビロン座などで活動した。1954年の『フレンチ・カンカン』で注目されたが、その後も舞台を続け、ジャン・ヴィラール、ピーター・ブルック、パトリス・シェローらの演出家と仕事をした。同じころ、テレビの人気作品にも出演している。家族の死を経て無神論者になった彼は、1956年に反教権主義で知られるルイス・ブニュエルと出会い、『この庭に死す』で皮肉にも司祭の役を演じた。

1960年代に入って評価が固まり、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の作品で注目され、ブリジット・バルドーと共演したジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』で広く知られるようになった。以後、ルノワール、クレール、レネ、ヴァルダ、ドゥミ、シャブロル、ルイ・マルなどのフランスの名匠のほか、ヒッチコック、コスタ=ガヴラス、ベロッキオ、スコラ、オリヴェイラ、アンゲロプロス、モレッティら各国の監督の作品にも出た。ブニュエルとは『小間使の日記』『昼顔』『銀河』『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』『自由の幻想』『欲望のあいまいな対象』など6本、マルコ・フェレーリとは7本、クロード・ソーテとも多くの作品で組んだ。

1980年にはマルコ・ベロッキオ監督の『虚空への跳躍』でカンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を、1982年にはピエール・グラニエ=ドフェール監督の作品でベルリン国際映画祭の男優賞を受けた。1980年代にはジャック・ドワイヨンやレオス・カラックスら若い世代の作品にも出て、穏やかな印象を崩す挑発的な役や嫌われ役も辞さなかった。1990年代から監督も務め、2001年に『黒い海岸』を手がけた。同年には演劇のヨーロッパ賞を受け、2007年にはカンヌ国際映画祭のコンペティション部門の審査員にも加わった。左派の立場から政治に発言し、1964年にはフランス俳優組合の副委員長になり、国民戦線への反対やアムネスティ・インターナショナルへの協力でも知られた。文学を好み、ボードレールの『悪の華』やラブレーの『ガルガンチュア』の朗読を録音している。2011年にはモレッティ監督の『ローマ法王の休日』に出演した。最後に出演した映画は、2013年のトマ・ド・ティエール監督の作品とされる。

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