HISTORICAL PERSON · 2020年没

ジョージ・フロイド (白人警官に殺された黒人男性)

アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、偽札使用の容疑による警官の逮捕中に亡くなったアフリカ系アメリカ人男性。その死に対し、全米や諸外国で抗議デモが広がった。

生涯
2020年没
死亡地
アメリカ合衆国(ミネソタ州 / ミネアポリス)
出生地
アメリカ合衆国(ファイエットヴィル)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ミネソタ州)

伝記

ジョージ・ペリー・フロイド・ジュニアは、1973年10月14日に生まれ、2020年5月25日にアメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスで亡くなったアフリカ系アメリカ人男性である。20ドルの偽札を使った疑いで逮捕される際に死亡し、その死は警察の暴力に対する抗議運動を全米と諸外国に広げる契機となった。

出生地については、ノースカロライナ州ファイエットビルで生まれたと記される一方、冒頭ではテキサス州ヒューストン生まれともされ、資料の記述が分かれる。育ったのはヒューストンの第三区にある公営住宅で、歴史的に黒人が多く、町で最も貧しい地域の一つだった。6人の兄弟がおり、両親が離婚した2歳のときに母は子どもたちを連れて公営住宅へ移った。子どもの頃はペリーと呼ばれ、背の高さから「ビッグ・フロイド」とも呼ばれて、スポーツを暮らしを良くする希望と感じていた。イェーツ高校ではバスケットボールでパワーフォワード、アメリカンフットボールでタイトエンドとして活躍し、1992年にはチームをテキサス州の王座へ導く一助となった。1993年に卒業し、兄弟で初めて大学に進んで、アメフトの奨学金で2年間通い、バスケットボールもプレーしたが、のちに退学した。友人や家族は彼を「ジェントル・ジャイアント(穏やかな巨人)」と形容した。

ヒューストンに戻ると、車の改造の仕事に就き、ヒップホップグループの一員として「ビッグ・フロイド」の名でラッパーとしても活動した。ニューヨーク・タイムズの記者は、その低音の韻を第三区の誇りだと書いた。一方で1997年から2005年の間に、薬物の不法所持や窃盗、不法侵入などで8回逮捕され、収監も繰り返した。2009年には2007年の武装強盗について答弁取引に応じ、懲役4年を言い渡され、2013年1月に仮釈放された。

釈放後はキリスト教系の団体に深く関わって若者を指導し、心臓発作で倒れた母の運動やリハビリを手伝った。ラッパーのトレー・ザ・トゥルースが立ち上げた基金の活動にも参加し、のちにはドラッグからの更生や就職を支援する教会の取り組みにも関わった。2014年に仕事を探してミネアポリス近郊のセントルイスパークへ移り、トラックの運転手や警備員として働いた。2017年には反銃・反暴力の宣伝映像を作り、救世軍の施設でも警備員を務めたが、2020年に新型コロナウイルスの流行でバーやレストランの警備の仕事を失った。5人の子どもと2人の孫がいた。

2020年5月25日、ミネアポリス近郊のスーパーで偽札を使おうとしたとして逮捕された。白人警官のデレク・ショーヴィンが膝で首を8分46秒押さえつけ、手錠をかけられたフロイドは、うつ伏せのまま他の警官にも拘束された。最後の3分間は動かず脈もなかったが、警官らは蘇生を試みなかった。検死では身体の拘束による心停止の殺人と判定され、体内からはフェンタニルなどの薬物が検出された。心臓の複数の疾患も指摘され、死因には心疾患と薬物の関与が記された。家族が依頼した二度目の検死は、首の圧迫と背中の圧迫による力学的窒息と結論づけた。死の翌日からミネアポリスで抗議デモが始まり、50の全州と諸外国を含む400以上の都市に広がった。各地で追悼式が開かれ、ミネアポリスでの式ではアル・シャープトンが弔辞を述べた。遺体はテキサス州ピアーランドで母の隣に葬られた。壁画が世界の多くの都市に描かれ、8分46秒は「沈黙の時間」として記念の象徴となった。2021年3月、ミネアポリス市議会は2700万ドルの和解金を遺産財団に支払う案を全会一致で承認した。

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