伝記
マリオ・モリーナは、1943年3月19日に生まれ、2020年10月7日に没したメキシコの化学者である。フロンガスがオゾン層を破壊する危険を指摘し、パウル・クルッツェン、フランク・シャーウッド・ローランドとともに1995年のノーベル化学賞を受賞した。自然科学分野のノーベル賞を受けた最初の、そして唯一のメキシコ人とされ、バナジウムの発見者アンドレス・マヌエル・デル・リオ、経口避妊薬の発明者ルイス・ミラモンテスとともに、メキシコ3大化学者の一人に挙げられている。
メキシコシティで、弁護士で外交官でもあったロベルト・モリーナと、レオノア・エンリーケスの息子として生まれた。父はエチオピア、オーストラリア、フィリピンの大使を務めたという。幼いころから化学に深い関心を持ち、家の浴室を自分の小さな実験室に変え、おもちゃの顕微鏡や化学実験セットで遊んだ。化学者であった叔母のエステルがその関心を育て、より複雑な実験を手伝ったとされる。もともとはバイオリン奏者を志していたが、化学への愛着がそれに勝った。11歳のときにスイスの寄宿学校に送られ、ドイツ語を身につけた。
1965年にメキシコ国立自治大学で化学工学の学士号を取り、1967年に西ドイツのフライブルク大学で修士号を得た。その後はカリフォルニア大学バークレー校に進み、1972年に化学の博士号を取得した。バークレーでは化学レーザーを用いた分子の動力学などの研究に加わり、指導教授のジョージ・ピメンテルのもとで化学への愛情をさらに深めたという。博士号の後にカリフォルニア大学アーバイン校の研究計画に加わり、ローランドとともにフロンガスの問題に取り組んだ。
1974年、アーバイン校でのポスドク時代に、ローランドとともにフロンガスのオゾン層に対する危険性を論じた論文を書き、『ネイチャー』誌に寄稿した。当時のフロンガスは、スプレーガスや冷媒として広く用いられていた。学界が無関心だったため、二人は同年にアトランティックシティで行われたアメリカ化学会で記者会見を開き、フロンガスの大気中への放出の完全な禁止を訴えた。科学者や産業界からは疑問の目で見られ続けたが、米国科学アカデミーの科学者による概説が公表され、1976年には何らかの行動を起こす必要があるとの合意に至った。これによりスプレー缶や冷蔵庫からフロンガスを除く動きが世界的に広まった。
1974年から2004年にかけて、カリフォルニア大学アーバイン校、メキシコ国立自治大学、カリフォルニア工科大学のジェット推進研究所、マサチューセッツ工科大学などで研究や教育にあたった。2004年7月1日からはカリフォルニア大学サンディエゴ校とスクリップス海洋研究所の大気化学センターに所属した。2005年にはメキシコシティにマリオ・モリーナ・エネルギー環境戦略研究センターを開き、その所長を務めた。メキシコ大統領エンリケ・ペーニャ・ニエトの気候政策アドバイザーも務めている。受賞は、1989年の国際連合環境計画のグローバル500賞、1994年のマックス・プランク賞、1999年の笹川環境賞、2013年の大統領自由勲章など数多い。小惑星9680番はその名にちなむ。2006年2月にはグアダルーペ・アルバレスと2度目の結婚をした。2000年にはローマ教皇庁科学アカデミーの会員に指名され、イェール大学、デューク大学、ハーバード大学などから名誉学位も贈られた。2020年10月7日、メキシコシティで心筋梗塞のため77歳で亡くなった。
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