伝記
シシリー・タイソンは、1924年12月19日に生まれ、2021年1月28日に没したアメリカの女優である。70年に及ぶ経歴の中で、複雑で意志の強い黒人女性を数多く演じた。エミー賞、ピーボディ賞、トニー賞などを受け、2018年にはアカデミー名誉賞を授与された。
ニューヨークのブロンクスで生まれ、まもなく一家でイースト・ハーレムに移ったとされる。両親は西インド諸島のネイビス島からの移民で、父ウィリアムは大工や塗装工として働き、母フレデリカは家事労働者であった。三人きょうだいの一人で、聖公会の教会で聖歌隊に加わり、祈祷会にも通う信仰深い環境で育った。母は娘が女優になることに反対し、一時は口をきかなかったが、舞台に立つ姿を見て考えを改めたという。のちにリー・ストラスバーグのもとで演技を学んだ。
経歴は、雑誌『エボニー』のカメラマンに見出されてファッション・モデルとなったことに始まる。1956年に映画『カリブ・ゴールド』で端役を演じて映画に初出演し、1958年にはハーレムのキリスト教青年会館で舞台に立ち、1959年にはブロードウェイにも初めて出演した。その後は映画よりも、テレビドラマやブロードウェイ、オフ・ブロードウェイの舞台に多く出演した。1961年にテレビデビューし、1962年にはアメリカのテレビで初めてアフロヘアで出演した黒人女性になったとされる。1960年代初めにはジャン・ジュネの『黒人たち』の初演の一員となり、マヤ・アンジェロウ、ジェームズ・アール・ジョーンズらと共演した。別の舞台でヴァーノン・ライス賞を受け、プロデューサーのデヴィッド・サスキンドの目にとまって、1963年から64年のCBSの連続ドラマ『イースト・サイド/ウエスト・サイド』に出演した。当時、テレビの出演者でレギュラーの黒人は彼女だけだったという。
1972年、ポール・ウィンフィールドらと共演した『サウンダー』で母親役を演じ、アカデミー賞とゴールデングローブ賞の主演女優賞にノミネートされた。1974年の『ジェーン・ピットマン/ある黒人の生涯』では、奴隷時代を経験した主人公を熱演し、南北戦争から続く黒人差別を描いた作品の中で高い評価を得て、エミー賞を獲得した。その後も映画とテレビに出演を重ね、黒人女優としての地位を確立した。1977年には黒人映画制作者の殿堂入りを果たし、1982年にはウィメン・イン・フィルムの賞から功労賞を授与された。
1994年のテレビ作品『南部の風・南軍兵士の妻が語る100年の物語』でも、エミー賞を受け、第1回全米映画俳優組合賞にもノミネートされた。ニュージャージー州には彼女の名を冠した芸術のマグネット・スクールが設けられ、本人も支援している。
70歳を超えてもウィロー・スミスのミュージックビデオに出演し、ヒット作『ヘルプ』では、エマ・ストーン演じる主人公を幼い頃から支えてきた老メイドを演じ、共演者らと全米映画俳優組合賞のキャスト賞を受けた。2013年に舞台『バウンティフルへの旅』でトニー賞を受け、ドラマ・デスク賞も獲得した。88歳での受賞は、演劇主演女優賞の最年長記録とされる。2015年にケネディ・センター名誉賞、2016年に大統領自由勲章を受けた。同じ2016年のブロードウェイ作品『ジン・ゲーム』では、ジェームズ・アール・ジョーンズと共演し、これが最後のブロードウェイ出演となった。1981年にジャズトランペッターのマイルズ・デイヴィスと結婚したが、1988年に離婚している。
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