HISTORICAL PERSON · 2021年没

ミキス・テオドラキス

ギリシャの作曲家。20世紀最大の音楽家と言われ、映画『その男ゾルバ』の音楽などを手がけたほか、左派の政治家としても活動した。

生涯
2021年没
死亡地
ギリシャ共和国(アッティキ / アテネ)
出生地
ギリシャ共和国(ヒオス島)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(アッティキ)

伝記

ミキス・テオドラキスは、1925年7月29日に生まれ、2021年9月2日に没したギリシャの作曲家である。ギリシャにおける20世紀最大の音楽家と言われ、1,000を超える作品を残したとされる。音楽だけでなく、政治や文化にも大きな影響を与えた。

エーゲ海のキオス島に生まれ、幼少期をミティリニ、ケファロニア、パトラ、ピルゴス、トリポリなどギリシャ各地の地方都市で過ごした。父は法律家で公務員、クレタ島の出身であり、母アスパシアはいまのトルコのチェシュメに住むギリシャ系の家の出であった。ギリシャの民俗音楽に親しみ、ビザンティンの典礼音楽からも影響を受け、子供のころからすでに作曲家になりたいと語っていたという。楽器がなくても自分で曲を書くことを覚え、パトラとピルゴスで最初の音楽の手ほどきを受けた。17歳のときにトリポリで初めての演奏会を開いている。

1943年にアテネへ出ると、左派のレジスタンス組織エラスの予備部隊に加わった。第二次世界大戦中にレジスタンスとして逮捕されたとされ、戦後の内戦のさなかにも左派として活動して逮捕され、イカリア島への流刑ののち、マクロニソス島へ送られた。そこで拷問を受け、2度生き埋めにされたと伝えられる。潜伏や流刑、投獄のない時期には、1943年から1950年までアテネ音楽院で学び、1950年に最後の2つの試験を優秀な成績で終えた。その後クレタ島に渡り、ハニア音楽学校の校長となって最初の管弦楽団を創設した。

1953年3月16日にミルト・アルティノグルーと結婚し、翌1954年にパリへ渡った。パリ音楽院でオリヴィエ・メシアンに楽曲分析を、ウジェーヌ・ビゴーに指揮を学んだ。ピアノ協奏曲、第1交響曲、バレエ音楽などが国際的に高く評価され、1957年にはモスクワ音楽祭で金メダルを得た。1959年にはロンドンのコヴェント・ガーデンで上演されたバレエ『アンティゴネ』が成功し、ダリウス・ミヨーの推薦を受けて、アメリカのコプリー音楽賞の候補となった。映画音楽にも進出し、『将軍月光に消ゆ』と『ハネムーン』の音楽を手がけた。「ハネムーンの歌」はビートルズのレパートリーに入った。

1960年にギリシャへ戻ると、ギリシャ音楽の根に立ち返り、連作歌曲『エピタフィオス』によって国の文化に大きな変革をもたらした。セフェリス、エリティス、リッツォス、ロルカらの詩に曲をつけ、ギリシャ音楽が失った尊厳を取り戻そうとした。交響的な楽曲と大衆歌を融合させた「メタ交響的音楽」という考えも打ち出した。1963年5月にグリゴリス・ランブラキスが暗殺されると、ランブラキス民主青年団を創設して会長に選ばれた。この団体は5万人を超える会員を集め、ギリシャ最大の政治組織となった。のちにはマリア・ファラントゥーリのために書いたカンタータ『大いなる歌』(1980年)や、バルセロナ五輪のための『カント・オリンピコ』(1992年)も作曲した。映画音楽でも『その男ゾルバ』(1964年)、『Z』(1969年)、『セルピコ』(1973年)などで知られる。『Z』では英国アカデミー賞作曲賞を受賞した。

1967年に軍事クーデターに反対して逮捕され、釈放後、軍事政権が崩壊するまでパリで過ごした。獄中での著作に『抵抗の日記』がある。1981年から約10年にわたり国会議員を務め、大臣も経験した。2007年3月にはレジオンドヌール勲章を受章した。2021年9月2日に死去した。

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