伝記
アントニー・ヒューイッシュ(1924年5月11日-2021年9月13日)は、イギリスの電波天文学者である。パルサーの発見に決定的な役割を果たした功績により、1974年に同じ電波天文学者のマーティン・ライルとともにノーベル物理学賞を受賞した。1969年には英国王立天文学会のエディントン・メダルも受けている。
イングランド南西部コーンウォール州のフォイに生まれ、テイントンのキングズ・カレッジで学んだ後、ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジに進んだ。しかし学部生の時期に第二次世界大戦で学業を中断され、兵役としてロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメントに配属された。のちにレーダーの空軍への応用を研究していた通信研究所に移り、そこでライルとともに働いている。1946年にケンブリッジへ戻ると、卒業に必要な単位を取って学部課程を終え、キャベンディッシュ研究所のライルの研究チームに大学院生として加わった。1952年に博士号を得たが、その論文では、手前にあるプラズマの影響で電波源の電波に生じるシンチレーションを観測し活用する方法を、理論と実用の両面で前進させた。
この手法を土台に、ヒューイッシュは惑星間シンチレーションの研究を主な目的として、高い時間分解能で電波サーベイ観測ができる大規模な位相アレイ電波望遠鏡の建設を提案した。1965年に資金を確保し、ケンブリッジ郊外のマラード電波天文台に惑星間シンチレーションアレイを設け、1967年に完成させた。彼の教え子の大学院生ジョスリン・ベル(のちのジョスリン・ベル・バーネル)はアレイの建設を手伝い、その出力の解析を任されていた。やがてベルは、のちに最初のパルサーと認められる電波源を発見する。ヒューイッシュは当初、この信号を電波障害ではないかと考えたが、信号は赤経が一定のままで、地上の発信源とは考えにくかった。発見を報告した論文は5人の共著で、筆頭がヒューイッシュ、2番目がベルであった。
1974年のノーベル物理学賞は、電波開口合成法の開発に対するライルの業績と、パルサー発見におけるヒューイッシュの決定的な役割に対して贈られた。ベルが受賞者に含まれなかったことは議論を呼び、同じケンブリッジの天文学者フレッド・ホイルは、ベルも賞を分かち合うべきだったと主張した。一方ベル自身は、研究生に賞を与えるのはきわめて例外的な場合を除いてノーベル賞の価値を下げることになり、このケースはそれに当たらないと思うと述べている。のちにマイケル・ローワン=ロビンソンは、1952年にシンチレーション技法を考案し、アレイを建設して発見に至ったチームを率い、その解釈も示したヒューイッシュこそが、発見につながった研究の主役であったと書いた。
ヒューイッシュは1968年に王立協会フェローとなり、1971年から1989年までキャベンディッシュ研究所の電波天文学教授、1982年から1988年までマラード電波天文台の所長を務めた。ロンドンの王立研究所とも縁が深く、1965年にはクリスマス講演「宇宙の探究」を共同で担当し、のちに金曜講話も何度か行って、1977年に同研究所の教授となった。6つの大学から名誉学位も受けている。
1950年にマージョリー・エリザベス・キャサリン・リチャーズと結婚し、物理学者となる息子と、語学教師となる娘をもうけた。宗教と科学は互いに補い合うものだと考えていた。2021年9月13日に97歳で亡くなった後、ノーベル賞のメダルなどの賞は遺族からケンブリッジのチャーチル・カレッジに寄贈された。
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