伝記
ダフニ・デュ・モーリエは、1907年5月13日にロンドンのリージェンツ・パークの東側のカンバーランド・テラス24番地で、俳優でマネージャーのジェラルド・デュ・モーリエと、女優のミュリエル・ボーモントの間に、3人姉妹の次女として生まれたイギリスの小説家である。祖父は作家で『パンチ』誌の風刺漫画家だったジョージ・デュ・モーリアで、小説の登場人物スヴェンガーリを作り上げたことで知られる。姉アンジェラも作家になり、妹ジーンは画家になった。日本語の翻訳書では、ダフネ・デュ・モーリアと表記されることが多い。家族の繋がりがキャリアの構築を助け、初期のころは、ボーモントの雑誌に作品が載った。幼いころ、父のつてで、多くの著名な舞台俳優と出会った。ジェームス・マシュー・バリーの『ピーター・パン』の着想となったルウェリン・デイヴィス家の息子たちとは、いとこ同士である。
1931年に最初の小説が出版された。1932年にはイギリス陸軍少佐のフレデリック・ブロウニング(のち中将まで昇進)と結婚して、2人の娘と1人の息子を育てた。結婚生活は時々うまくいかないこともあり、執筆中は子供たちとは距離を置いていたと、伝記作家は伝える。1936年の『埋もれた青春』などを経て、1938年に『レベッカ』を発表した。恋愛小説家に分類されるが、ハッピーエンドであることはまれで、超常現象のニュアンスもある「憂鬱に共鳴する」作品とされている。ベストセラーは最初、批評家たちに真面目に受け取られなかったが、筋の構成で評判になっていった。『レベッカ』のほか、短編『鳥』など多くの作品が映画化され、アルフレッド・ヒッチコック監督の『レベッカ』と『鳥』の原作者として知られる。
子どもの時に遊びに行って一目で気に入ったコーンウォールで、人生の大半を過ごし、多くの作品の舞台になった。小説や映画で名が知られるにつれ、逆に隠遁生活になっていった。1943年から1969年まで、『レベッカ』の舞台であるマンダレー屋敷のモデルとなった、フォーイ近郊のメネビリー屋敷を借りていた。戯曲も3本書いた。1作目は自作の小説『レベッカ』の戯曲化で、1940年3月5日にロンドンのクイーンズ・シアターで開幕し、181回上演された。1943年の夏から書き始めた自伝的戯曲は、1944年にマンチェスターで初演され、1945年にロンドンに移って、617公演のロングランとなった。3作目の『セプテンバー・タイド』は、義理の息子のボヘミアン・アーティストと恋に落ちる中年女性を描いたもので、1948年12月15日に開幕し、ガートルード・ローレンスが主人公を演じて、267回上演された。
デュ・モーリエはあまり社交的でなく、インタビューを受けることもまれで、1人で黙々と絵を描くことが多かった。亡夫がモデルとなった映画『遠すぎた橋』の公開時は例外で、全国紙に許しがたい描かれ方をされたと記した。1965年にブロウニングが亡くなると、まもなくコーンウォールのパー村近くのキルマース村に転居し、1969年に、ここが作品の舞台となった。1969年には、大英帝国勲章のナイト・コマンダーの勲位を得た。1989年4月19日、81歳で、数多くの書籍を貯蔵しているコーンウォールの自宅で亡くなった。遺志により、遺体は火葬され、遺灰はキルマースにまかれた。没後、女性との関係をめぐり、バイセクシャルだったのではないかという議論が起こったが、デュ・モーリエ家とローレンス家の子供たちはこれに強く異議を唱えている。
同じ年に亡くなった人物
- リッチー・ギンサー (1989年没)
- フランツ・ヨーゼフ2世 (1989年没)
- ロナルド・D・レイン (1989年没)
- ドロレス・イバルリ (1989年没)
- 手塚治虫 (1989年没)
同じ地域に関係する人物
- パメラ・コールマン・スミス (1951年没)
- ウィリアム・グレゴール (1817年没)
- ピーター・ミッチェル (1992年没)
- アーサー・キラークーチ (1944年没)
- バーバラ・ウェスト (2007年没)