HISTORICAL PERSON · 紀元前560年代没

アリュアッテス

リュディア王国の王。メディアとの戦争中に起きた皆既日食を機に講和し(日食の戦い)、史上初の貨幣を発行したことでも知られる。

生涯
紀元前560年代没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

アリュアッテスは、小アジアのリュディア王国メルムナス朝の第4代の王である。父は王サデュアッテス、母は父の姉妹で王妃のリュデであり、二人はともに王アルデュスの子だった。曽祖父は王朝の祖ギュゲスにあたる。有名なクロイソスの父で、その先代の王でもある。在位は紀元前605年から紀元前561年とも、紀元前635年ごろから紀元前585年ごろともされ、メルムナス朝の王たちの年代は確かではない。在位の長さはヘロドトスにより57年と伝えられる。

即位したのは、国が深刻な危機にあった時期だった。紀元前7世紀、ユーラシアの草原から西アジアに侵入した遊牧民キンメリア人は、リュディアをたびたび攻撃した。曽祖父ギュゲスはこれを退けたが、紀元前644年に王リュグダミスの率いるキンメリア人が3度目の攻撃をかけると、リュディア人は敗れ、サルディスは略奪され、ギュゲスは殺された。その後も、トラキア系のトレレス人がキンメリア人やリュキア人と結んで攻め入り、サルディスは城塞を除いて再び略奪された。アリュアッテスはこうした混乱のなかで父の跡を継いだ。のちにキンメリア人を撃滅し、100年以上にわたったその侵入を終わらせたとされる。

治世の初め、アリュアッテスは父から続くイオニアの都市ミレトスとの敵対を引き継いだ。戦いは、穀物の乏しいリュディアの中心部のために、ミレトス人の収穫を奪う襲撃が中心だった。この争いは治世6年ごろ(紀元前630年ごろ)まで続き、ミレトスの僭主トラシュブロスと和平を結んだ。友好条約と軍事同盟が結ばれ、金属に乏しいミレトスと穀物に乏しいリュディアとの間で、金属と穀物の交易が始められた。ミレトスはリュディアに補助兵を提供し、リュディアは黒海やナウクラティスにおけるミレトスの市場と海上網を利用できることになった。ヘロドトスは、アリュアッテスがアッセソスのアテナ神殿を焼いたために病にかかり、デルポイの巫女の言葉に従って二つの神殿を建て直し、ミレトスと和平したと語る。だが、これはほぼ伝説であり、事実ではないらしい。デルポイの聖域への奉納がもとになったのだろうと考えられている。エペソスとは常に良好な関係を保ち、支配者の家系とは婚姻で結ばれていた。アリュアッテスは自分の娘の一人を、当時のミレトスの僭主である小メラスに嫁がせ、その間に生まれたのがエペソスのピンダロスだという。

領土の面では、アリュアッテスの下でリュディアはハリュス川まで拡大し、フリュギアを傘下に収めた。川の東ではメディア王国が勢力を伸ばしており、紀元前590年ごろからリュディアとの戦争になった。紀元前585年5月28日、両軍はハリュス川で戦ったが、突然太陽が皆既日食で消え、戦いにならなくなった。これを機に、バビロニア王ネブカドネザル2世とキリキア王の仲介で、ハリュス川を両国の境とする講和が結ばれた。これが日食の戦いである。エーゲ海東岸のギリシア人都市もリュディアに貢納する義務を負うようになり、古代ギリシアと古代オリエントの文化交流が活発になったという。

アリュアッテスは、史上初めて貨幣を発行した君主ともされ、治世の初期に最初の貨幣が登場している。琥珀金で作られたもので、のちにクロイソスが金貨を初めて発行した。このため貨幣の発明者と見なされるが、それ以前から貨幣があったという説もある。墓はサルディス近郊にあり、直径355メートル、高さ35メートルと、近辺で最大の墳丘墓である。ヘロドトスによれば、頂上には男根の象徴が立てられていたといい、エトルリアの墳丘墓を思わせる。死後は息子のクロイソスが跡を継いだ。

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