伝記
アイソーポスは、紀元前620年ごろから紀元前564年ごろに生きたとされる古代ギリシアの寓話作家で、日本では英語読みのイソップ、あるいはポルトガル語発音に由来する「伊曽保」の名で知られる。当時の記録が乏しく、半ば伝説の人物と言われることもあるが、実在したのは確からしいとされる。ヘロドトスの『歴史』に歴史上の人物として名が見えるのが、彼に関する最初の記述である。
出生地については古代の文献の間で食い違いがある。アリストテレスなど古い資料は、紀元前620年ごろにギリシアの植民地メセンブリアで生まれたと伝える。一方、ラテン語で寓話を翻案したパエドルスらローマ帝国期の作家はフリュギアの出身だと主張し、3世紀の詩人カリマコスは「サルディスのアイソーポス」、後のマクシモスは「リュディアの賢者」と呼んだ。アリストテレスやヘロドトスによれば、彼はサモス島の奴隷で、主人は最初クサントス、のちにイアドモンという人物だったという。後に解放されたと考えられるのは、裕福なサモス人のために弁護人として弁じたと伝わるからである。同じくイアドモンの奴隷だったトラキア出身の美女ロードピスと秘かに恋仲にあったという話も伝わる。旅の荷物持ちをした際、かさばるために他の奴隷が嫌がった食料を自ら進んで担ぎ、旅の終わりには軽くなった袋を口笛を吹きながら運んでいたという逸話も知られる。
最期の地はデルフォイとされる。プルタルコスによれば、彼はリュディア王クロイソスの外交使節としてデルフォイを訪れたが、住民を侮辱したため、神殿の宝を盗んだという濡れ衣で死刑を宣告され、崖から投げ落とされた。その後、デルフォイは疫病と飢饉に見舞われたという。同じ記述では、コリントスの僭主ペリアンドロスのもとで七賢人と食卓を囲み、サルディスで知り合った友人ソロンの隣に座ったとも語られる。ただし1965年に研究者ペリーは、死の年代とクロイソスの治世を調和させにくいことから、王や七賢人との交友に関する古代の証言は文学上の虚構とみなすべきだと結論し、デルフォイでの最期も伝説として退けた。のちの研究には、クロイソスの使節やペリアンドロス訪問が没年と矛盾しないとする見解もある。
彼の生涯を詳しく語る『アイソーポス物語』は、2世紀ごろに成立したとされる作者不詳の大衆文学で、極めて醜い奴隷が機知によって自由を得る筋立てだが、史実性は長く否定されてきた。この物語では、彼はサモス島にいたフリュギア出身の奴隷で、はじめ口がきけなかったが、イシス女神の女司祭に親切にした報いで言葉と巧みな語りの才を授かる。その才で主人クサントスを助けもし、学生の前で恥をかかせもする。前兆の解釈でサモス人を救って自由を得ると、サモスとクロイソスの間の使者を務め、のちには架空の王たちの宮廷も巡り、最後はデルフォイで住民を怒らせて飛び降りを強いられる。多くの寓話を残したとされるが、現在伝わる寓話がすべて彼の創作というわけではない。それ以前から伝わる話や後世の創作が後からその名に帰され、出身地とされる小アジアの民話を基にしたものも多く含まれるという。擬人化された動物が登場する話が多く、17世紀にはラ・フォンテーヌが寓話を詩の形に書き直し、広く読まれた。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
- アリストテレス (紀元前322年没)
- クレオンブロトス1世 (紀元前371年没)
- エレトリアのアカイオス (紀元前419)
- メネデモス (紀元前264)
- デモクリトス (紀元前370年代没)