伝記
ジャン=ルイ・トランティニャンは、1930年12月11日にフランス南部ヴォクリューズ県のピオランクで生まれ、2022年6月17日に没した俳優である。『男と女』などで世界的に知られ、ヌーヴェルヴァーグを代表する俳優のひとりに数えられる。
父ラウールは実業家で、ポン=サン=テスプリの市長やガール県の県議会議員を務め、対独レジスタンスの指導者のひとりでもあった。父は戦争中に逮捕されて解放まで投獄され、母クレールは戦後、ドイツ兵との関係を理由に髪を刈られたという。こうした出来事と、それが両親の関係に残した影響は、のちまで彼に深い影響を残したとされる。叔父のルイ、アンリ、モーリスはいずれも自動車レースに熱中し、とくにモーリスはF1の名ドライバーとして活躍した。1944年にはジャック・プレヴェールの詩に出会い、その愛着は生涯続いた。
アヴィニョンの高校を出てエクス=アン=プロヴァンスの法学部に学んでいた1949年、シャルル・デュランが演出したモリエールの『守銭奴』を観て啓示を受けた。続いてシェイクスピア劇にも魅せられ、学業を捨ててパリで演技を学ぶ。この修業は深い内気さを克服する助けにもなった。演劇と並行して映画高等学院にも通った。当時は安宿の一室に四人で暮らし、市場での雑用で学費を工面した。1951年に舞台に立ち、1956年にはクリスチャン=ジャック監督の映画で銀幕に登場する。同じ年のロジェ・ヴァディム監督『素直な悪女』で、サン=トロペの村を舞台に奔放な女性ジュリエットに夢中の若い夫を演じ、ブリジット・バルドーとともに国際的な名声を得た。バルドーとの関係は報道で大きく取り沙汰され、ヴァディムとバルドーの夫婦を壊したともいわれる。
その後、兵役で姿を消した。病気を装ってアルジェリア行きを免れ、ドイツのトリーアやパリの兵営に配属されたという。この歳月は彼に深い影響を残し、俳優としての歩みをいったん止めた。除隊後は舞台の『ハムレット』で再び人気を得て、1959年にはヴァディム監督の『危険な関係』で映画に戻った。1960年代は精力的に活動し、知的で温厚な持ち味を発揮し、『男と女』や『フリック・ストーリー』が当たり役となる。1968年には『消される男』でベルリン国際映画祭の男優賞にあたる銀熊賞を受け、1969年には『Z』でカンヌ国際映画祭の男優賞を得た。
ミヒャエル・ハネケ、クロード・ルルーシュ、エリック・ロメール、フランソワ・トリュフォーなど、作家性の強い監督たちと組んで代表作を残した。『殺しが静かにやって来る』『暗殺の森』『トリコロール/赤の愛』『愛する者よ、列車に乗れ』なども知られる。『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の主役を打診されたが、裸になることを嫌って断ったという。監督としても1973年と1978年に映画を撮ったが、いずれも商業的には振るわなかった。2012年の『愛、アムール』では2013年のセザール賞主演男優賞を受けた。
私生活では、女優ステファーヌ・オードランとの最初の結婚のあと、映画監督ナディーヌと1960年から1976年まで夫婦だった。娘の女優マリー・トランティニャンは2003年に恋人の暴行を受けて世を去っている。2007年にはバイク事故を起こしている。2018年に前立腺がんと診断されたが治療を拒んだとされ、2021年11月には視力も歩行も衰えていた。2022年6月17日、ガール県の自宅で家族に看取られて静かに息を引き取った。91歳だった。晩年は、3番目の妻でレーシングドライバーのマリアンヌ・ヘプフナーと南仏で暮らしていた。
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