伝記
オリビア・ニュートン=ジョンは、1948年9月26日にイングランドのケンブリッジで生まれ、2022年8月8日に73歳で没したポピュラー歌手、女優である。イギリス生まれのオーストラリア人で、1970年代から1980年代半ばにかけて多くのヒット曲を放った。
母方の祖父はノーベル賞を受けた物理学者マックス・ボルンで、ウェールズ人の父はケンブリッジ大学のドイツ語教授だった。5歳のとき、父がオーストラリアの大学に移ったため一家で移住した。14歳の頃から学友とバンドを組み、バーなどで歌い始める。1965年にオーディション番組で優勝し、その賞でイギリスに戻って、1966年にデビューした。クリフ・リチャードのバック・コーラスなど下積みが続き、1970年にはバンド、トゥモローのボーカルになったが、映画まで作られた企画は失敗に終わり、解散した。
1971年、ボブ・ディランがジョージ・ハリスンに提供した曲のカバー「イフ・ノット・フォー・ユー」で再デビューし、これがヒットして人気の階段をのぼる。カントリー系の素朴な路線で支持を集めた。1974年の「愛の告白」は全米1位となり、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞を得た。同年、コンピレーション盤で全米アルバムチャートの初の首位にも立った。1975年にアメリカへ移ってからも、2曲目の全米1位「そよ風の誘惑」が生まれた。1978年、ミュージカル映画『グリース』でジョン・トラボルタと共演し、興行は大成功を収めた。サントラから「愛のデュエット」などが続けてヒットし、世界的なスターとなる。
1980年には映画『ザナドゥ』に主演した。興行は不発だったが、「マジック」などがヒットした。1981年にはディスコ調の「フィジカル」を発表し、全米で10週連続1位を記録して、1982年の年間チャートでも1位となった。1980年代の全米チャートで最もヒットした曲になったという。ミュージックビデオでレオタード姿でエアロビクスを踊る強い印象も当たったが、歌詞が意味深だとして、保守的な州南部などの放送局には放送を控える動きもあった。1982年に「フィジカル・ツアー」を行った後は、15年余りコンサート・ツアーから遠ざかった。1985年の「ソウル・キッス」が中程度のヒットに終わると、俳優マット・ラッタンジーとの結婚生活に入って音楽界と距離を置き、1986年に娘クロエを出産した。その後は環境保護活動に取り組み、ユニセフ親善大使も務めた。
1992年に乳がん闘病中と公表し、以後はがん治療の啓発に力を入れた。1994年に全曲の作詞作曲を手がけたアルバム『ガイア』で音楽界に復帰し、1995年にラッタンジーと離婚する。1999年から再びコンサートツアーを開き、2000年のシドニーオリンピック開会式ではジョン・ファーナムとテーマ曲を披露した。2008年にジョン・イースターリングと再婚し、2014年からはラスベガスで常設公演を行った。2017年にがんが脊髄に転移したと公表したが、2018年に自伝を出版している。
乳がんの経験を生かして触診用の簡易検査器具を企画し、メルボルンにはがんセンターも設立した。大英帝国勲章を受け、2021年秋には日本政府から旭日小綬章を授与された。2022年8月8日、乳がんとの長い闘病の末、南カリフォルニアの自宅で亡くなった。翌2023年2月にはメルボルンで国葬が行われた。
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