伝記
ワレリー・ポリャコフは、1942年4月27日にソビエト連邦のトゥーラで生まれた宇宙飛行士である。ソ連とロシアに仕え、ミール宇宙ステーションに437日18時間にわたって滞在し、1回の宇宙滞在としては最長の記録を保持している。生まれたときの名はワレリー・イワノヴィチ・コルシュノフといい、1957年に継父の養子となってポリャコフの姓に改めた。1959年にトゥーラの第4中等学校を卒業し、モスクワの第1モスクワ医学院(セーチェノフ名称)で学んで医学の学位を得た。その後、保健省の医学生物学問題研究所に進み、宇宙医学を専門とした。1964年、最初の医師の宇宙飛行士ボリス・エゴロフがボスホート1号で飛んだのを機に、この分野に打ち込むようになったという。
1972年3月22日、医療グループ3の宇宙飛行士に選ばれた。最初の飛行は1988年のソユーズTM-6で、ミール宇宙ステーションに240日間滞在して調査を行い、ソユーズTM-7で地球に帰還した。帰還して最初に口にしたのは「私たちは火星へ行ける」という言葉だったと伝えられる。
2度目の飛行は1994年1月8日、ソユーズTM-18の打ち上げで始まった。これは有人宇宙飛行としては史上最長のもので、ミールには約437日滞在して実験や科学調査を行い、その間に地球を7,000回あまり周回した。1995年1月9日、滞在366日となった時点で、6年前にウラジーミル・チトフとムサ・マナロフが立てた継続滞在の記録を正式に更新した。この間の1995年2月には、スペースシャトル・ディスカバリーとのランデブーをミールの窓から観察した。1995年3月22日にソユーズTM-20で地球に戻ると、着陸したカプセルと近くの椅子までの数メートルを、運ばれることを選ばず自分の足で歩いた。長い移動のあと人間が火星の表面で働けることを示したかったからだという。この長期飛行には、火星への長期ミッションで人体が微小重力にどう反応するかを知るため、自ら志願した。
飛行前、飛行中、飛行後に医学的な評価を受け、帰還の6か月後にも2回の追跡検査を受けた。比較の結果、認知機能に障害はなかったが、飛行の最初の数週間と帰還までの間は明らかに気分が落ち込み、仕事量が増えたと感じていた。気分は飛行開始の2か月目から14か月目にかけて飛行前の水準に安定し、帰還後も長期の能力低下は見られなかった。研究者はこのデータから、有人火星探査のような長期飛行でも安定した気分と機能を保てると結論づけた。
1995年6月に宇宙飛行士の職を退き、2回の飛行で通算678日余りを宇宙で過ごした。のちの1999年にセルゲイ・アヴデエフが3回の飛行で合計747日に達するまで、これが最長の累積記録だった。1999年には、宇宙ステーションでの国際乗組員の飛行シミュレーション実験に参加した。モスクワの保健省で副長官を務めて長期宇宙ミッションの医療面を監督し、ロシア最高医学委員会の一員として宇宙飛行士の資格認定や選抜にも関わった。アメリカ、オーストリア、ドイツ、フランスがミールで行った宇宙科学ミッションでは「宇宙飛行士調査員」を務め、生命科学や宇宙医学、長期宇宙飛行の研究成果に関する著作も発表した。ソ連邦英雄、ロシア連邦英雄、レーニン勲章、レジオンドヌール勲章、パラサット勲章などを受けた。国際宇宙研究者協会や国際宇宙航行アカデミーの会員でもあった。結婚して子が1人いた。2022年9月、80歳で死去した。
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