伝記
ベン・ロイ・モッテルソンは、1926年7月9日にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴで生まれ、2022年5月13日にデンマークのコペンハーゲンで亡くなった理論物理学者である。1971年にデンマークに帰化し、1975年に原子核の構造に関する研究でノーベル物理学賞を受けた。
父グッドマンは技師、母はジョージア(旧姓ブルム)で、家はユダヤ系だった。イリノイ州ラグランジュのライオンズ・タウンシップ高校を卒業したのち、アメリカ海軍に入り、士官養成課程のためパデュー大学に送られた。1947年にここで学士号を得た。続いてハーバード大学で原子核物理学を学び、ジュリアン・シュウィンガーに師事して、1950年に博士号を取得した。
学位を得たあと、ハーバード大学のシェルドン旅行奨学金を得て、1948年ごろからコペンハーゲンのニールス・ボーア研究所でオーゲ・ニールス・ボーアやレオ・ジェームス・レインウォーターとともに原子核の構造を研究した。当時、レインウォーターとボーアは、核子ひとつひとつの振る舞いを考慮に入れた原子核のモデルを発展させていた。それは、原子核を内部構造のない液滴とみなす単純な扱いを超えるものだった。このモデルで、一部の原子核に見られる球形でない電荷分布など、いくつもの性質を説明できるようになった。モッテルソンはボーアとともに、こうした理論モデルを実験データと突き合わせる仕事を進めた。1952年から1953年にかけて二人は一連の論文を発表し、理論と実験がよく一致することを示した。たとえば、ある原子核のエネルギー準位が回転スペクトルで記述できることを明らかにした。
殻模型で記述される核子の独立粒子運動と、液滴模型で記述される集団運動を統一して扱う集団運動模型は、1953年に構築された。1953年にはコペンハーゲンに置かれた欧州原子核研究機構の理論研究グループの所員となり、1957年には新設の北欧理論物理学研究所(ノルディタ)の教授になった。1959年の春にはカリフォルニア大学バークレー校の客員教授を務めた。
1957年の夏、コペンハーゲンを訪れたデビッド・パインズが、超伝導の理論にある対形成の効果を紹介した。これに刺激されたボーアとモッテルソンは、偶数個と奇数個の核子からなる原子核でエネルギー準位が異なることを説明するため、同様の効果を取り入れた。モッテルソンは、BCS理論が提案された翌年の1958年に、原子核での超流動状態の発現を指摘したとされる。また、高スピン状態で超流動から常流動へ相転移する可能性も示し、「有限量子多体系としての原子核」という考え方を生んだ。
1975年、ボーア、レインウォーターとともにノーベル物理学賞を受賞した。受賞理由は、原子核における集団運動と粒子運動の結びつきの発見と、それに基づく原子核構造の理論の発展である。ボーアとの共著『原子核構造』は、1969年に第1巻「単一粒子運動」、1975年に第2巻「核変形」が出版され、核構造物理学の教科書として広く読まれている。1969年には原子力平和賞を受け、1993年から1997年まで、イタリアのトレントにある原子核理論研究の欧州センターの所長を務めた。ほかにフィンランド科学文学協会の名誉会員、アメリカ哲学協会の会員、ノルウェー科学文学アカデミーの外国人会員などに名を連ね、『原子科学者会報』の後援者評議会の一員でもあった。
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