伝記
フィデル・バルデス・ラモスは、1928年3月18日に生まれ、2022年7月31日に没したフィリピンの政治家・軍人である。第12代フィリピン共和国大統領を務め、国防大臣なども歴任した。フィリピンの歴史上唯一のプロテスタントの大統領とされる。通称はエディ・ラモスで、頭文字からFVRとも呼ばれた。少尉から国軍の最高司令官にまで上り、職業軍人としては唯一、五つ星の将軍の位に達したとされる。
1928年3月18日、パンガシナン州リンガエンに生まれ、幼少期はアシンガンで育った。父ナルシソ・ラモスは弁護士で記者でもあり、下院議員を5期務めたのち外務大臣にまで上った人物で、1967年にバンコクで結ばれた東南アジア諸国連合の宣言にフィリピン側の署名者として加わり、自由党の創立メンバーでもあった。母アンヘラ・バルデスは教育者で婦人参政権運動にも関わり、イロコス・ノルテ州バタックのバルデス家の出である。この縁でフェルディナンド・マルコスとは遠い親戚にあたる。
地元の公立小学校で学んだのち、マニラで中等教育を受け、1945年に高校を卒業した。1946年にアメリカへ渡って陸軍士官学校に学び、1950年に卒業して軍事工学の学位を得た。同年にイリノイ州立大学で工学の学士号も取得したともされ、のちに土木工学の修士号を得て、1953年の土木技師の資格試験では全体で8位の成績だったという。軍歴の初期の1951年には、共産主義勢力フクバラハップに対する掃討作戦で小隊長や歩兵中隊長を務めた。続いて朝鮮戦争に従軍し、1951年から1952年には国連軍の一員として派遣されたフィリピン派遣軍の小隊長を務めた。1962年から1965年にかけては、国軍の精鋭である特殊部隊を創設して指揮したとされる。1966年から1968年までは在ベトナム・フィリピン軍の民事担当参謀長を務め、1968年から1969年には大統領の軍事担当補佐官となった。1970年から1986年にかけては国家警察軍の長を務めたとされる。その間の1972年には司令官として、マルコス大統領が布告した非常事態体制を保障した。
転機は1986年2月に訪れた。国軍参謀次長だったラモスは、フアン・ポンセ・エンリレ国防大臣とともにマルコスの独裁に反対して決起し、エドゥサ革命による政権崩壊に貢献した。その後は国軍参謀総長としてコラソン・アキノ大統領を支え、クーデター未遂が相次ぐ困難な時期を乗り切った。1988年1月に国防大臣に就任し、1991年7月まで務めた。
1992年6月に大統領に就任した。在任中は国営企業の民営化と外資の誘致に力を入れ、国内の需要に必要な発電所を建設した。こうした経済政策は国民の支持を得て、1995年5月の議会選挙ではラモスを支持する勢力が多数派を占めることができた。2期目への出馬は否定し、1998年6月をもって退任した。退任後も政治への関わりを保ち、後任の大統領たちに助言したとされる。外国からは多くの勲章を受け、2013年にはイアン・ブレマー、ジョセフ・ナイらとの共著『新アジア地政学』が日本語でも出版された。
私生活では、1954年10月にアメリタ・マルティネスと結婚し、2人の間に5人の子が生まれた。2022年7月31日の午後、新型コロナウイルス感染症の合併症のため、マニラ近郊マカティの病院で死去した。94歳であった。オミクロン株による感染であった。
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