伝記
ルイーズ・エリザベス・グリュックは、1943年4月22日にニューヨークで生まれ、2023年10月13日にマサチューセッツ州の自宅でがんのため亡くなったアメリカ合衆国の詩人、エッセイストである。2020年にノーベル文学賞を受賞した。選考側は、飾らない美しさで個人の存在を普遍的なものにする紛れもない詩の声を評価したとされる。
父ダニエルは実業家で、ハンガリー系ユダヤ人の家に生まれ、作家になる志を持ちながら義兄との事業に進み、X-アクト・ナイフを発明して成功した。母ベアトリスはロシア系ユダヤ人の子で、主婦だった。姉妹の長女で、ロングアイランドで幼年時代を過ごし、両親からギリシア神話やジャンヌ・ダルクの物語を教わって、早くから詩を書き始めた。ウィリアム・ブレイクなどのイギリス・ロマン派やギリシア神話に親しみ、20世紀ではT・S・エリオットとイェイツの影響を受けた。
十代で拒食症を患い、高校最終学年の秋には精神分析の治療を始めて、まもなく登校をやめて療養に専念したが、1961年に卒業はしている。「いつか死ぬと分かっていた。それ以上に、死にたくないと強く感じていた」と書き残している。その後の7年間は治療を受け続け、それが病を克服し考える力を身につける助けになったと語った。この状態のため大学には正規の学生として通わず、サラ・ローレンス大学で詩の授業を受け、1963年から1966年までコロンビア大学の一般教養学部で夜間の詩の教室に通った。そこでレオニー・アダムスとスタンリー・クニッツに学び、二人を大切な師とした。
教室に通いながら詩を発表し始め、最初の掲載は雑誌『マドモアゼル』で、のちに『ニューヨーカー』などにも載った。教室を離れてからは秘書の仕事で生計を立て、1967年にチャールズ・ハーツ・ジュニアと結婚した。1968年に第一詩集『第一子』を出し、ロバート・ハスは「硬質で技巧的で、痛みに満ちている」と評した。その後長く詩が書けない時期が続いたが、1971年にヴァーモント州のゴダード大学で詩を教え始めてから抜け出したという。この時期の作品は第二詩集『マーシュランドの家』(1975年)にまとめられ、多くの批評家が出世作とみなしている。
1985年の『アキレスの勝利』以降は、聖書や神話と個人の経験を重ね合わせ、詩集全体に一つの物語性を持たせる技法を積極的に用いた。個人の苦悩に普遍性を浮かび上がらせる手法は、後続の詩人に大きな影響を与えた。1992年の『野生のアイリス』でピューリッツァー賞を受け、2001年にボーリンゲン賞、2014年に全米図書賞、2015年に国民人文科学勲章を受けた。その後も『アララト』(1990年)、『メドウランズ』(1997年)、『新しき生』(1999年)、『アヴェルノ』(2006年)、『村の暮らし』(2009年)、『詩集1962-2012』(2012年)、『誠実で高潔な夜』(2014年)と詩集を重ねた。2020年にはトーマス・トランストロンメル賞も受けている。2003年10月からの1年間はアメリカ議会図書館の桂冠詩人を務めた。コロンビア大学、ボストン大学、アイオワ大学、カリフォルニア大学バークレー校などで教え、ウィリアムズ大学で20年間教えたのち、2004年に招聘作家としてイェール大学へ移った。晩年はマサチューセッツ州ケンブリッジ、ヴァーモント州モンペリエ、カリフォルニア州バークレーを行き来して暮らした。邦訳に『野生のアイリス』と『アヴェルノ』がある。
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