伝記
シルヴィオ・ベルルスコーニは、1936年9月29日に生まれ、2023年6月12日に亡くなったイタリアの政治家、実業家である。建設業とメディア経営で成功した世界有数の資産家であり、首相を4期務めた。1977年に授与された称号にちなみ、支持者からは「イル・カヴァリエーレ」、すなわち騎士と呼ばれた。サッカーにも情熱を注ぎ、名門ACミランのオーナー兼会長を長く務めて、1990年代にチームを世界屈指の強豪に育てた。
1936年、王政時代のイタリア王国のミラノ市イゾラ・ガリバルディで、中流家庭の長男として生まれた。父ルイージは銀行に勤め、のちにラジーニ銀行の取締役となり、母ローザはピレリの役員秘書だった。サレジオ会系の寄宿学校に在学中、第二次世界大戦と王政廃止を経験した。卒業後はミラノ大学で法律を学び、広告に関する法律を専攻して1961年に卒業資格を得た。学生時代は音楽に熱中し、コントラバス奏者の集まりに加わっていて、そこでの友人たちが後に事業の人脈となった。
大学在学中から、父の勤める銀行の顧客だったピエトロ・カナーリの建設会社で働き、卒業後に独立した。ラジーニ銀行とカナーリからの融資で複数の建設会社を設立し、人口増による住宅需要に応えて成長させた。ミラノの住宅供給計画「ミラノ・ドゥーエ」では、隣のセグラーテ市に1万500棟のアパートを建てて大成功を収めた。ただし、ラジーニ銀行にはマフィアが多額の預金をしていたことが当局の調査で明らかになり、マネーロンダリングへの関与が疑われている。1965年にカーラ・エルビアと結婚し、長女マリアと長男ピエル・シルヴィオをもうけた。
1973年に地元ミラノでケーブルテレビ局「テレミラノ」を開局し、1977年に地上波放送の免許を得た。1978年には所有企業を統合してフィニンベスト社を設立した。1980年代には放送部門「メディアセット」のもとに地方局を次々と収め、独自の全国放送網を築いた。全国放送権を国営放送のみが持つとされていたため明確な違反だったが、「カナーレ5」「イタリア1」「レーテ4」などの大手民放も傘下に入れた。1984年10月16日に裁判所が放送停止を命じたものの、同月20日、社会党書記長のベッティーノ・クラクシ首相から民放として初めて全国放送を認められ、「イタリアのメディア王」として知られるようになった。また、反共団体のロッジP2の会員でもあったとされる。
1992年からの大規模な汚職捜査とそれに伴う既存政党の崩壊を機に、新党「フォルツァ・イタリア」を結成し、国民同盟や北部同盟と連立して第一次政権を樹立したが、両党の対立で一年足らずで崩壊した。1996年にはロマーノ・プローディに敗れたものの、2001年に「自由の家」を結成して総選挙に勝ち、5年間の第二次政権を維持した。2006年に再びプローディに敗れたが、新党「自由の人民」を結成して2008年に第三次政権を発足させた。2011年には未成年者売春罪などで起訴され、ギリシャ危機に伴う経済不安のなか、財政緊縮法案の可決後の退陣と政界引退を表明した。しかし2012年12月に前言を翻して翌年の総選挙への出馬を表明し、自由の人民は第3党を守って影響力を回復した。首相在職は通算9年を超え、戦後最初の首相アルチーデ・デ・ガスペリを上回る。一方で、自らの媒体を政治に利用しているとの非難や、汚職疑惑、性的スキャンダルも絶えなかった。
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