伝記
トニー・ベネット(本名アントニー・ドミニク・ベネデット)は、1926年8月3日にニューヨーク州クイーンズでイタリア移民の両親のもとに生まれ、2023年7月21日にニューヨーク市で亡くなったアメリカ合衆国のポピュラー歌手、ジャズ歌手である。エンターテイナーであり画家でもあり、グラミー賞を20回、エミー賞を2回受け、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにも名を刻んだ。
18歳で徴兵され、第二次世界大戦の最後の2年間を、厳しい戦況と気候のドイツ戦線で過ごした。20歳で退役してニューヨークに戻り、演劇関係の教育機関アメリカン・シアター・ウィングに入って、のちまで続くオペラ風のベルカント唱法を身につけた。当時の大スター歌手に見出され、1950年にコロムビア・レコードと契約した。1951年の「ビコーズ・オブ・ユー」はいきなり全米チャートで10週連続1位となり、一躍スターの仲間入りを果たした。1950年代から1960年代にかけては「ストレンジャー・イン・パラダイス」や「思い出のサンフランシスコ」などのヒットを連発し、自身のテレビ番組も持った。歌手になる前は商業イラストレーターとして生計を立てており、画才にも優れて個展をたびたび開いた。その絵はCDのブックレットにも生かされている。
1960年代半ばにビートルズが現れ、1970年代に聴き手がロックへ傾くと、スタンダード・ポップやジャズの人気は衰え、ベネットの人気も低迷した。1975年にはジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスと共演したアルバムを発表し、それまでのポピュラー色の強い歌手像を塗り替えた。2年後にも再び共演している。ロック曲に挑み、自らのレーベルを作るなど努力を重ねたが、税金の滞納に陥り、1979年にはコカインの過剰摂取で瀕死の状態になった。
そこから立て直す契機となったのは、マネージャーを務める息子ダニーの助言である。1986年に古巣のコロムビア・レコードと契約し、人気のテレビ番組に出るなどして露出を増やし、若い層にも訴えかけた。1994年にMTVアンプラグドに出演し、そのライヴ・アルバムがヒットしてグラミー賞の最優秀アルバム賞を受け、第一線に復帰した。2000年代以降はプラシド・ドミンゴ、ダイアナ・クラール、ビリー・ジョエル、スティーヴィー・ワンダー、バーブラ・ストライサンド、ポール・マッカートニー、エルトン・ジョン、スティング、ジョン・レジェンドなど、さまざまな歌手と共演してアルバムを出し続けた。2011年にはアレサ・フランクリン、マライア・キャリー、レディー・ガガらとのデュエット集で、85歳にして全米アルバム・チャートで初登場1位となり、ボブ・ディランが67歳で作った最年長首位記録を大きく塗り替えた。2014年にはガガとの『チーク・トゥ・チーク』で2枚目の初登場1位を獲得し、記録を88歳と69日に更新した。
2016年ごろからアルツハイマー病を患っていたことが、2020年に報じられた。それでも2021年には周囲の支えで、ガガとの『ラブ・フォー・セール』を完成させた。95歳と60日で新作を出した最高齢としてギネス世界記録に認定され、翌年のグラミー賞では最優秀トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・アルバム部門を受けた。2021年8月に披露ライヴを最後にステージから引退すると発表し、2023年7月21日に世を去った。フランク・シナトラが「トニー・ベネットは音楽業界最高の歌手だ」と評したという逸話も残る。
同じ年に亡くなった人物
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