伝記
ケビン・デイビッド・ミトニックは、1963年8月6日に生まれ、2023年7月16日に没したアメリカの元クラッカーである。のちにセキュリティの側に転じ、ホワイトハッカーとも呼ばれた。FBIを盗聴した、自分を追っていた主任捜査官の机の引き出しに「奥さん誕生日おめでとう」のメッセージとともにプレゼントを忍ばせた、といった伝説的な逸話が残っている。
ロサンゼルスのユダヤ系の家庭に生まれ、3歳のときに両親が離婚して、ウェイトレスとして働く母に引き取られた。友達は少なく孤独だったが、やがて市内の高校のコンピューターを使えるようになり、ネットワーク上にハッカーの友人ができて、「コンドル」というあだ名がついた。電話回線を不正に操作するフリーキングに関心を示し、そこからコンピューターへの侵入へ進んだという。16歳のころ、コンピューターネットワークに取りつかれて学校の管理システムの安全対策を破ったが、成績を書き換えるためではなく、ただ見るためだったとされる。
法に触れる最初の事件は1981年で、友人二人と太平洋岸の電話会社の事務所に実際に入り込み、通話記録を管理するデータベースの運用に関わる安全対策の一覧や、各支店の入口の暗証番号、システムの手引書を手に入れた。仲間の恋人に通報され、未成年だったため少年裁判所から禁錮3か月と保護観察1年を言い渡された。1982年には、モデムを通じてコロラド州の北米防空司令部のコンピューターに侵入したとされる。翌年には南カリフォルニア大学の学生として、インターネットの前身アーパネットから国防総省のコンピューターへの侵入を試みて逮捕され、少年刑務所で6か月の刑を受けた。1987年にはサンタクルーズでマイクロコープ・システムズ社への侵入で起訴され、3年の保護観察を言い渡された。その後、自分の得意分野の仕事を求めて銀行のネットワーク安全担当に応募したが前科のために断られ、すると銀行の偽の決算書を作って送ろうとした、という話もある。1988年にはデジタル・イクイップメント社への侵入で逮捕されている。
コンピューター会社のデータを盗んで禁固刑を受けたのち、保護観察中に逃亡し、約2年間、ロサンゼルスやシアトルの捜査当局の捜索を逃れ続けた。1994年12月25日にはカリフォルニア大学サンディエゴ校のサンディエゴ・スーパーコンピュータ・センターに侵入し、1995年2月15日、同センター勤務の下村努の協力を得たFBIによって逮捕された。禁固5年・執行猶予4年の有罪判決を受けて投獄され、この時期の取材では、ハッカー行為をやめられず年長の妻と離婚したこと、母が子供のころの彼を決して頭がいいとは思えなかったと振り返ったこと、祖母が行為は自分の利益のためではなかったと答えたこと、セラピストが「悲しく寂しい少年」と評したことが伝えられた。
2000年1月21日に釈放され、FBIに協力し、企業のセキュリティを扱うコンサルティング会社を設立して、守る側に回った。手法はソーシャル・エンジニアリングと呼ばれるもので、機械の技術よりも、利用者が安全方針を正しく理解し守れるかどうかが安全の決め手だと考えていた。著書に『欺術』などがあり、2008年5月に初来日して、メールの危険性について講義した。2023年7月16日、1年以上にわたる膵臓がんとの闘病の末に亡くなった。当時、妻のキンバリーは二人の第一子を妊娠中だった。
同じ年に亡くなった人物
- エルンスト・トゥーゲントハット (2023年没)
- ボビー・チャールトン (2023年没)
- ニッキー・マックレイ (2023年没)
- ロビー・ロバートソン (2023年没)
- イワン・シラーエフ (2023年没)
同じ地域に関係する人物
- エドワード・ヒックス (1849年没)
- ジョン・テイラー (陸上選手) (1908年没)
- ロイド・アリグザンダー (2007年没)
- William Carr (1942年没)
- レイモンド・パール (1940年没)