伝記
マルキアヌス(フラウィウス・マルキアヌス)は、レオ朝に連なる人物で、西ローマ皇帝アンテミウスの子である。母はマルキア・エウフェミアで、東ローマ皇帝マルキアヌス(在位450年から457年)の娘にあたる。父アンテミウスは467年から472年まで西ローマ皇帝を務め、4世紀半ばに皇帝ウァレンスへ反旗を翻したプロコピウスの血筋を引くとされる。兄弟にはガリアで471年に死んだアンテミオルス、プロコピウス・アンテミウス、ロムルスがおり、姉妹アリュピアは西方の軍司令官リキメルの妻となった。
西と東の帝国の結びつきを強めるため、東ローマ皇帝レオ1世とその妃ウェリナの娘レオンティアと結婚した。469年と472年には同僚なしの執政官に選ばれている。レオ1世の死後は孫のレオ2世が継いだが、幼い皇帝は同じ年に7歳で世を去り、父ゼノンが単独の皇帝となった。ゼノンはイサウリア出身であることから、コンスタンティノープルの民衆に蛮族とみなされて歓迎されず、マルキアヌスのほうを推す者もいた。ゼノンの妻アリアドネがレオ1世がまだ無名の軍人だった頃の生まれであるのに対し、レオンティアはレオが皇帝になってから生まれたためである。
479年、マルキアヌスはゼノンの打倒を試みた。兄弟のプロコピウス・アンテミウスとロムルスの助けを得て、市民と外国人からなる兵をコンスタンティノープルのカエサリウスなる人物の家に集め、皇宮とゼノン側の将軍イッルスの家へ同時に進軍した。昼のうちは皇帝軍を圧倒し、ゼノンはあと一歩で捕らわれるところだったという。しかし夜のうちにイッルスがカルケドンに駐屯していたイサウリア人部隊を市内に入れ、マルキアヌスの兵を買収したため、ゼノンは逃れた。翌朝、ゴート人の将軍テオドリック・ストラボンの援軍が間に合わないと悟ったマルキアヌスは聖使徒教会に逃げ込んだが、兄弟とともに捕らえられた。
兄弟とともにカッパドキアのカエサレアへ送られたが、修道士の助けで脱走を図り、兄弟は成功したものの本人は捕らえられた。キリキアのタルソスで修道士にされたとも、イサウリアのパプリウス城に幽閉されたともいわれる。再び脱走して今度は成功し、新たに兵を集めてアンキュラを攻撃したが、イッルスの兄弟トロクンデスに敗れてまた捕らえられた。
484年、イッルスがゼノンに対して反乱を起こすと、自ら帝位に就くことを望まなかったイッルスはマルキアヌスを解放して皇帝に宣言した。イッルスは、ゼノンが追放していたウェリナも解放したが、やがてマルキアヌスを退けてレオンティウスを帝位に推した。その後マルキアヌスは、オドアケルの助けを求めるためイタリアへ送られた。没年は484年とされる。