伝記
ロクスは、カトリック教会の聖人で、ペスト(黒死病)に対する守護聖人として、古くからヨーロッパで崇敬されてきた。ラテン語ではロクス、イタリア語ではロッコ、フランス語ではロック、スペイン語やポルトガル語ではロケと呼ばれる。生没年には食い違いがあり、1295年から1327年8月16日とされることもあれば、1350年頃にモンペリエで生まれ、1378年頃にイタリアのヴォゲーラで没したとされることもある。いずれにせよ、フランス南部のモンペリエに生まれた巡礼者であり、病を癒す人として伝えられている。
生まれについては、1295年にモンペリエで総督の子として生まれたという説明がある。一方で、1348年から1350年の間に、百年戦争のさなか、黒死病が猛威をふるう時期に生まれたとする説明もある。モンペリエはアラゴン王家の領地で、1349年にフランス王家に結びついた商業都市であり、大学で名高く、巡礼路の重要な宿場でもあった。父は町の有力者で、1363年に筆頭執政官を務めたジャン・ロック・ド・ラ・クロワ、母はロンバルディア出身のリベリアと伝えられる。子のなかった両親が聖母マリアに祈って授かった子で、胸に赤い十字の印をもって生まれたという。おそらくドミニコ会のもとで学び、その後に医学を修めたとされ、幼いころから1358年と1361年のペストの流行に直面した。
両親を亡くしたのは、20歳のときとも17歳のときともいわれる。裕福で教養もあり、町の統治に加わることもできたが、その役目を叔父に任せ、全財産を貧しい人々のために手放した。フランシスコ会の第三会に入り、巡礼者の服をまとい、マグロンヌの司教の祝福を受けてローマへ向かった。道中、ペストが流行していたアックアペンデンテに3か月とどまり、医学の知識に十字の印と祈りを合わせて患者を看護し、多くの病人が癒えたという。さらにチェゼーナでも流行を知って向かい、癒しをもたらした。ローマでは、おそらく聖霊病院の病人の世話をした。教皇ウルバヌス5世の前に導かれたとも伝えられ、教皇はロクスを見て「あなたは天国から来たように思える」と叫び、全免償を与えたという。患者の頭上で十字を切ると、たちまち治ったという話は、広く伝えられている。
ローマを出て故郷へ戻る途中、ロクスはイタリアのピアチェンツァに立ち寄り、病院で病人を看護した。そこで自らもペストにかかり、苦しみながら町外れの森へたどり着いて死を覚悟したという。このとき泉がわき、一匹の犬が毎日パンをくわえて運んでくれた。犬の主人は貴族のゴタルド・パラストレッリとも考えられ、彼はのちにロクスの弟子となり、最初の伝記の著者で、ロクスの唯一の本当の肖像を描いたともいわれる。犬が傷をなめて治したという伝説もある。回復したロクスは、すぐにピアチェンツァへ戻ってペスト患者のもとで働いた。
のちに祖国へ帰り故郷モンペリエに着いたが、フランスは戦争で分裂しており、身元が分からなかったため、スパイと疑われて投獄された。そして獄中で亡くなったと伝えられる。没年は1327年とも、1378年頃ともされる。絵画や像では、傷ついた脚を見せて立ち、かたわらにパンをくわえた犬を従える姿で描かれる。ペストを防ぐ聖人として、また巡礼者の守護聖人として、外科医や薬剤師などの同業組合や信心会にも崇められ、モンペリエの守護聖人でもある。
同じ年に亡くなった人物
- ハイメ2世 (アラゴン王) (1327年没)
- Shams al-Din al-Ansari al-Dimashqi (1327年没)
- ウォルター・ステュアート (1327年)
- エリザベス・ド・バラ (1327年)
- チェッコ・ダスコリ (1327年)
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