HISTORICAL PERSON · 814年没

アブー・ヌワース

アッバース朝期バグダードのアラビア語詩人。享楽的な酒の詩や恋愛詩で知られ、『千夜一夜物語』ではハールーン・ラシードの取り巻きの道化として登場する。

生涯
814年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

アブー・ヌワースは、アッバース朝期のバグダードで活躍したアラビア語詩人である。747年から762年の間に生まれ、813年から815年の間に没したと推定されている。カリフのハールーン・ラシードから息子のムハンマド・アミーンの頃に活躍し、享楽的な酒ほがい詩や恋愛詩で知られる。清貧詩人アブー・アル=アターヒヤと作風が好対照をなし、よく並び称される。ともにアラビア語詩に新しい様式をもたらした「モダン派」ムフダスーンの代表的詩人である。

アブー・ヌワースは通り名で、本名はアブー・アリー・アル=ハサン・ブン・ハーニィ・アル=ハカミーという。父ハーニィはウマイヤ朝最後のカリフに仕えた兵士で、アフワーズに駐屯し、ペルシア人の織工ゴルバーンをめとって多くの子をもうけた。その一人が詩人である。出生地はバスラともアフワーズともいわれる。エジプトの歳入庁長官に出自を尋ねられると、「才能こそがわが出自であり、決して高貴な生まれではありません」と答えたという話が伝わる。クーファで教育を受け、薬屋に丁稚奉公していた少年のころ、客として来た詩人ワーリバに才を認められて詩作の師を申し出られ、その弟子になった。ワーリバの死後は、ハラフ・アフマルのもとで学び、文法学者にアラビア語の文法を学んだ。ベドウィンのもとへ行って語彙の知識を深めたとも伝わる。ハラフ・アフマルは、何千行もの古典詩を暗記するまで一行も詠むなと命じ、暗記し終えると今度はすべて忘れるよう命じた。過去の詩を忘れて初めて詩が作れるようになったというこの逸話は、形成期を象徴するものとされる。

詩人になるとすぐバグダードへ行き、ハールーン・ラシードに頌詩を献上して気に入られ、お目通りを許された。エスプリとユーモアにあふれた詩情で、すぐに都で有名になった。砂漠の伝統を受け継いだ主題は扱わず、都会生活を語り、葡萄酒の悦楽と少年愛を卑近なユーモアを交えて謳った。のちにカリフとなるアミーンと親交を結んだのもこの時期である。ハールーン・ラシードがバルマク家を粛正すると、エジプトに身を隠し、かくまった歳入庁長官を讃える頌詩を作った。亡命は長くなく、バグダードへ戻って新しいカリフ、アミーンの酒飲み友だちになった。詩作の大部分はアミーンの在位した809年から813年の間になされたと考えられている。アミーンとは相性が良かったが、飲酒を理由に牢に入れられたこともあるようだ。

古い規範に対し、アブー・ヌワースは諧謔で挑んだ。古典的な長詩カスィーダは野営地の嘆きから始まるのが普通だが、「俺ならその野営地に近い居酒屋はどこかと訪ねるところからはじめるぜ」と書いたという。葡萄酒を詩にすることでは当代随一の三人の一人に数えられ、深い意味を言葉にしてくれると評した者もいた。

最期については、牢の中で死んだという説、旅籠屋の女将の家で死んだという説などがある。投獄の理由は、イスラーム教を冒涜する内容を詩に詠んだからとされる。ユダヤ人の墓地であった丘に葬られたと伝わる。自分では詩集を編まず、特にエジプト亡命中の作品の多くが失われた。後世にスーリーやハムザ・イスファハーニーらが詩集を編み、ハムザ版は1500作品13000行に及ぶ。のちに民話の中で道化的な人物となり、『千夜一夜物語』に登場するほか、東アフリカでは名を変えてトリックスターとして語られ、近現代にはアラブ・ナショナリズムの中で再発見された。

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