伝記
スフヤーン・イブン・ウヤイナは、8世紀のイスラム世界で名高かったメッカの宗教学者である。イスラムの第三世代にあたる、「追随者の追随者」と呼ばれるタービウ・アッタービイーンに属し、ハディースとクルアーン注釈を専門とした。後世の学者ザハビーは彼を「イスラムの長老」と呼んでいる。弟子の中には、のちに自ら学派を開き、その流れが今日まで続く人々もいた。
父のウヤイナ・イブン・アビー・イムラーンはもとイラクのクーファの出身で、ハーリド・イブン・アブドゥッラー・アルカスリーの下で総督を務めていた。アルカスリーが職を解かれると、その後任者が前任者の部下の総督たちを捜し求めたため、父はメッカへ逃れて定住した。スフヤーンは725年から726年、ヒジュラ暦107年に生まれた。ムハンマド・イブン・ムザーヒムのマウラー(被解放民)であり、幼いころから宗教の学問を始めたという。本人の言によると、正式に師の講義に座ったのは15歳のときで、アブドゥルカリーム・アブー・ウマイヤの授業であった。その後の師には、アムル・イブン・ディーナール、ズフリー、ズィヤード・イブン・アッラーカ、マンスール・イブン・ムウタミルなど多くの人々がいる。本人の話では、4歳でクルアーンをすべて読み(暗記したという意味かもしれない)、7歳でハディースを書き始めた。15歳になったとき、父は「子供の頃の迷いは去った。善と交わり、その仲間となれ。学者たちは従う者にしか満足しないと知り、彼らに従い、仕え、その知識を身につけよ」と諭し、スフヤーンはこの助言に背かなかったと後に語った。メッカには九人の兄弟とともに暮らし、そのうち五人がハディースを学んだが、最も名高くなったのはスフヤーンである。
同時代の人々は、その知識と謙虚さをたたえた。アブドゥッラフマーン・イブン・マフディーは、ティハーマ地方の人々の中でハディースに最も通じた一人と評し、ブハーリーは記憶力を称賛した。弟子のシャーフィイーは、ハディースの意味を説明することにかけて彼より優れた人を見たことがないと語り、宗教的な裁定を出したがらない慎み深さにも触れている。イブン・マフディーは、クルアーンとハディースの理解においてスフヤーン・アッサウリーよりも彼を好んだ。弟子は多く、巡礼でメッカを訪れて彼に会おうとする人々が、巡礼の期間中に周りに押し寄せた。アマシュ、イブン・ジュライジュ、シュウバなど、師であった人々が彼の弟子にもなった。シャーフィイー派の名の由来であるシャーフィイーと、ハンバル派の名の由来であるアフマド・イブン・ハンバルも弟子であった。シャーフィイー派の有力な学者ナワウィーは、彼を法学の方法論における「シャーフィイー派学者たちの祖父」の一人に数えた。彼が伝えたハディースは、六大聖典のすべてに収められている。
著作としては、マーリク・イブン・アナスの『ムワッタア』に続く初期のハディース集の一つ『ジャーミウ』を編んだ。預言者の伝承とその後の伝承を扱い、クルアーン注釈も一部含むという。後世の学者ウッビーは、これをイスラム最初期の編纂書の一つと見なした。ほかに『タフスィール』が知られ、知られる著作は二点である。
巡礼は70回行い、行くたびに、これが最後の訪問になりませんようにと神に祈ったという。70回目にはもう願うのが恥ずかしくなり、メッカへ戻って翌年のうちに亡くなった。没したのは814年2月25日の土曜日、ヒジュラ暦198年ラジャブ月の第1日で、91歳だった。メッカのハジューン地区に葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- カール大帝 (814年没)
- クルム (ブルガリア皇帝) (814年没)
- アンギルバート (814年)
- アブー・ヌワース (814年)
同じ地域に関係する人物
- アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード (1953年没)
- ムハンマド・アルガザーリー (1996年没)
- Al-Fudhayl bin 'Iyyadh (803年没)
- ハディージャ・ビント・フワイリド (619年没)
- アブドゥッラー・ブン・アッバース (688年没)