HISTORICAL PERSON · 910年没

インゴールヴル・アルナルソン

ノルウェー及びアイスランドの首領・探検家で、有史上で最初にアイスランドへ移住したノルマン人。『植民の書』によれば874年にレイキャヴィークに自身の農地を開拓した。

生涯
910年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

インゴールヴル・アルナルソンは、ノルウェーとアイスランドの首領であり探検家で、有史上で最初にアイスランドへ移住したノルマン人として知られる。没年は910年とされる。日本語では、インゴールヴ・アルナルソン、インゴルブル・アルナルソン、インゴルヴル・アルトナルソン、インゴールブル・アルトナルソンなど、さまざまな表記がある。名は古ノルド語に由来し、「神」と「狼」を合わせた意味だという。

『植民の書』によれば、彼は874年に自分の農地をレイキャヴィークで開拓した。『植民の書』は植民の開始から三、四世紀を経て書かれた書物である。近年の考古学では、この記録より少し早く移住が行われていたことが確認されているが、年代が大きく離れているわけではない。中世の歴史記録者アリ・ソルギルスソンも、インゴールヴルが最初のノルマン人移住者だと述べている。ただし同じ記録者は、パパルと呼ばれるアイルランド人の僧侶や隠修士がそれ以前に島に住んでいたこと、そして彼らが新たに来た異教徒と共に暮らすのを望まず島を去ったことも伝えている。

『植民の書』には、移住をめぐる伝説的な物語が残る。それによれば、インゴールヴルは領主アトリとの争い、つまり血讐に巻き込まれ、ノルウェーを離れることになった。ガルザル・スヴァヴァルソンやフローキ・ビリガルズソンらが大西洋に新しい島を見つけたと聞き、親族で友人のヒョルレイヴとともにアイスランドへ向かった。ヒョルレイヴはアイルランドで略奪を行い、剣を奪ったことから剣のヒョルレイヴと呼ばれ、10人のアイルランド人奴隷を連れてノルウェーへ帰り、インゴールヴルの妹ヘルガと結婚したという。二人は家族と家財を携えて、島に定住するために出発した。

島が見えてくると、インゴールヴルは神々の姿を刻んだ高座の柱を海へ投げ入れ、柱が流れ着いた場所に住むと定めたという。神々が陸地へ導いてくれると強く信じていたのである。奴隷2人が柱を探して海岸を歩き、3年の後にようやく現在のレイキャヴィークの湾で見つけた。一方、ヒョルレイヴはアイルランド出身の奴隷たちを冷遇し、その結果、彼らに殺された。のちにインゴールヴルは逃げた奴隷たちを現在のウエストマン島に追い詰めて殺害した。ウエストマン諸島の名は、ノルウェーから見て西の人々を意味する語、すなわちアイルランド出身の奴隷たちを指す言葉に由来するといわれる。

インゴールヴルはアイスランド南西部の広い地域を開拓したとされるが、入植後の彼については、それ以上のことはよく知られていない。息子のソルステインは有力な首長で、ティングと呼ばれる民会を創設し、これが現在のアルシングの原型になったと伝えられる。インゴールヴルの妻はハッドルヴェイグといい、現在のアイスランドの住民にも、このインゴールヴル夫妻まで家系をさかのぼれる人がいるという。移住の背景については、ノルウェーで新しい形の貴族層が、ソグン・オ・フィヨルダネなど各地に残っていた平等な社会の序列を退けようとしていたことに求める説がある。この説では、入植の物語と各地の遺跡の調査から、遺跡の階層的な構造と、アイスランドで最初に開かれた民会の構造との結びつきが指摘されている。裏づけとして、炭素14による年代測定で、確認された遺跡の多くが880年ごろに放棄されたことが示され、アイスランドの植民の時期と重なるとされる。

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