伝記
イムホテプは、古代エジプトの高級神官であり、第3王朝のファラオ、ジェセルに仕えた宰相である。第3王朝最後のフニの時代まで活躍したとも伝えられる。生没年は分からず、紀元前2700年ごろに没したと推定されており、おおよそ紀元前2690年から紀元前2610年に生きたとする説もある。名はエジプト語で「平和のうちに来たる者」を意味する。メソポタミアの出身だとする説もあるが、確かなことは分からない。
トート神の神官で、祭儀文朗読神官長の地位にあったとされる。ある古代文書によれば、ナイル川が7年にわたって氾濫せず、深刻な飢饉が起きたとき、ジェセルはイムホテプにどうすべきかを尋ねた。イムホテプは、ナイル川の水源の主であるクヌムの神殿に土地を寄進すれば、川は再び氾濫するであろうと答えたという。このほか、ヘリオポリスの大神官で宰相でもあったと記される。
建築の面では、サッカラにあるジェセル王のピラミッドの設計者として知られる。これは史上初のピラミッドともいわれる階段ピラミッドで、6段、高さ60メートルほどの建造物であった。それまで大きな建築には日干しれんがが使われており、石灰岩を大量に切り出して運び、積み上げることは大きな挑戦だった。道具の金属は銅で、石の重さは難題だったが、比較的小さなブロックを使うことで一部を解決したとされる。柱は飾りか壁に付いたもので、重い荷重を支えてはいない。さらに数百人の労働者を管理し、約1,500メートルの周壁で囲んだ最初の葬祭都市をつくり、ピラミッドの地下には王の墓と、多数の壺を納める回廊を掘らせたという。同時代の碑文では、王の名の傍らに名を記された最初の人物とされる一方、その称号に医師の語はないといわれる。
医術でも名高く、のちにはエジプト医学の創始者とみなされ、外科や解剖の所見を記したエドウィン・スミス・パピルスの著者とされた。ただしこの文書は紀元前1700年ごろに書かれ、他の医師の加筆もあるらしい。そこには48の症例が、原因にも治療にも魔術を持ち出さず、合理的に記されている。この文書には、頭蓋骨の縫合、髄膜、脳の表面、脳脊髄液、頭蓋内の拍動についての最古の記述が含まれる。傷の診察、診断、治療、予後が詳しく述べられ、治療はほとんど合理的で、魔術的な処方は1例にとどまる。麻酔としてアヘンの蒸気を勧めたとも記される。サッカラの墓石の彫刻によれば、頭痛を和らげるために頸動脈を圧迫することを説き、脈拍は心臓と病人の状態を示す指標だと考えていたという。当時のエジプトでは病を神秘的、宗教的に捉えており、治療は儀礼、外科的処置、豊富な薬の処方を組み合わせたものだった。数学者や天文学者としても語られ、記録に名が残る最初の科学者とされることもある。中王国時代の文学『竪琴弾きの歌』にもその名が引かれている。
死後、イムホテプは次第に神格化され、「知恵、医術と魔法の神」として崇められた。書記の守護者として新王国時代に敬われ、後期には神とされ、ネフェルトゥムと同一視された。紀元前525年にはエジプトの神々の一柱として正式に認められ、プトレマイオス朝の時代にも神の位にあったという。ギリシャの医神アスクレーピオスとも同一視された。ジェセル王のピラミッドのそばには、名を記念したイムホテプ博物館がある。なお、映画『ミイラ再生』(1932年)の敵役の神官の名はこの人物にちなむが、設定は完全な創作である。