伝記
テオグニスは、古代ギリシアのアルカイック期に活動した詩人で、「メガラのテオグニス」と呼ばれる。教訓や処世の知恵を詠んだ詩を多く残し、後世のギリシア文学にたびたび引用された。生涯については不明な点が多く、古代の記録も乏しい。現代の研究者の間でも、詩集に収められた詩のほとんどが本当に本人の作かどうかが疑われている。
活動した時期は諸説ある。古代の年代記は前6世紀半ばの第57回から第59回オリンピアード(前552年から前541年ごろ)に置く。詩の内容から推し量る学者もおり、生年を前600年ごろ、あるいは前550年ごろとする説がある。ペルシアの侵攻を思わせる詩句があることが、後者の根拠の一つになっている。出身地のメガラについても、ギリシア本土のメガラとする説と、シチリアの植民都市メガラとする説が古代からあった。プラトンはシチリアのメガラと理解していたとされ、アッティカのメガラの生まれで、のちにシチリアへ移ったのではないかという見方もある。現代の研究者は、おおむね本土のメガラを出身地とみる。
アルカイック期のメガラでは、僭主の台頭に象徴されるように、身分秩序の解体が進んでいた。貴族階級に属していたテオグニスは、階級間の政争によってメガラを追われ、各地を放浪したと伝えられる。詩には、財産を奪われた亡命の境遇や、シチリア、エウボイア、スパルタへの旅をうかがわせる句がある。こうした経歴のため、詩には当時の貴族の価値観と、混沌とした世間への絶望感がにじむ。詩の多くは、少年愛の相手とされるキュルノスに宛てられている。詩人は彼を詩に詠み、貴族の価値観を教えたが、キュルノスは詩人が苦々しく思う不完全な世の中を象徴する存在にもなった。ただしキュルノスは、詩作のための架空の人物と解釈されることが多い。
作品は全てエレゲイア詩形で書かれ、現存するエレゲイア詩の最大量を占めるため、代表的なエレゲイア詩人とされる。当時の詩人としては珍しく、まとまった詩集が写本で伝わり、総計は約1,400行、数えれば1389行になる。写本はビザンツを経て、ルネサンス期の1543年に最初の刊本が出た。ただしソロンやエウエノスなど他人の詩も多く混ざっており、真贋の判別は難しい。詩人自身が、自作の行く末と存続を気にかけた最初のギリシア詩人だともいわれる。
代表作とされるのは、人間にとって最善なのは生まれないこと、次に善いのは早く死ぬことだと説く詩である。古代ギリシアではこうした死生観の代表格とされ、現代では反出生主義の先駆の一つに数えられる。後世のギリシアでは、饗宴の席で集団の価値観を確かめ、少年に教訓を与えるために朗誦された。イソクラテスは彼を人生の最良の助言者の一人に挙げ、プラトン、アリストテレス、プルタルコスらも引用や言及をしている。一方、プラトンの描くソクラテスは、その詩を矛盾した信用できない教えとして退けた。19世紀にはドイツの古典文献学者ヴェルカーが研究を開き、詩集に無く、引用でのみ伝わる詩もあり、パピルスの断片も発見されている。アンティステネスにはテオグニスについての著作があったが、現存しない。日本語では1963年に久保正彰の訳が刊行された。ニーチェは1864年のギムナジウム卒業の際に『メガラのテオグニスについて』という論文をラテン語で書いた。ダーウィンも、性淘汰を論じた先駆者として彼に触れている。