伝記
ロドスのアンドロニコスは、紀元前一世紀に活動したギリシアの哲学者で、アリストテレスの著作を整理した人物とされる。ロドス島の出身とされるが、生まれた場所や時期は確定していない。アリストテレスに始まる逍遙学派に属し、同学派の十一代目の学頭に数えられる。その在任期間は紀元前七八年から四七年とも、紀元前五八年から四七年ともいわれる。アリストテレスの著作群を体系的な順序に配列し、現在の全集に近い形へまとめたとされるものの、その編集の範囲や帰属については異論もある。
彼の編集事業には、アリストテレスと弟子テオプラストスの蔵書がローマへ渡ったという経緯が結び付けられている。アリストテレスの蔵書は後継者テオプラストスが受け継ぎ、さらにネレウスの手に移ってトロアス地方のスケプシスへ運ばれたという。ネレウスの相続人たちは、ペルガモンの王エウメネス二世が書物を集めていると知り、蔵書を地下へ隠した。その間に書物は傷み、文章の一部が失われた。のちにこれを買った富裕な愛書家、テオスのアペリコンは欠損を埋めようとしたが、補修には誤りが多かったと伝えられる。紀元前八六年、スラがアテナイを占領すると、蔵書はローマへ移された。
ローマでは文法学者で図書の整理にも携わったテュラニオンが蔵書に接することを許され、その写本を作った。アンドロニコスはテュラニオンを通じてアリストテレスの著作を入手し、紀元前六〇年ごろに編集版と著作目録を公にしたとされる。著作を選び、順序を整えて注釈を加えたこの仕事は、アリストテレス哲学への関心を再び高めることにつながった。全集に添える導入の巻にはアリストテレスの遺言を収め、生涯を記した可能性もある。また、著作全体の目録を作り、一般向けの著作と高度な学習者向けの著作を区別したともいわれる。編集の対象はアリストテレスだけでなく、テオプラストスの著作にも及んだ。ただし、長く隠れていた著作がこの時期に初めて再発見されたという話そのものには疑問もある。刊行する著作の新しさを強調するため、アンドロニコス自身がこの伝承を作ったのではないかという仮説もある。メガラ派、エピクロス派、ストア派の哲学者たちは、それ以前からこれらの内容を知っていたと考えられる。
アンドロニコスには、「第一哲学」に関する論考を『自然学』の後へ配置したことから、『形而上学』という呼び名を生んだという説もある。このギリシア語の呼称は、もとは自然に関する書物の後に置かれるもの、という意味に解される。しかし同様の表現はテオプラストスの断片にも見られるため、命名をアンドロニコス一人の仕事とすることは確実ではない。彼自身は魂についても論じ、魂の実体を身体の能力または気質と理解したとされる。『情念について』という論考もその名に帰されているが、著作の真正性には検討すべき点が残る。没年を含む生涯の詳細は明らかでなく、後の時代にはダマスコスのニコラオスらが、アリストテレスの自然学の後に続く論考の考察を著したとされ、この表現が書名として定着していった。アンドロニコスに帰される『情念について』は、一九七七年にも校訂版が刊行された。
同じ年に亡くなった人物
- アレタス4世 (紀元前60)
- Mariamne II (紀元前60)
- グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス (紀元前 60年(推定))
- Aulus Licinius Archias (紀元前60)
- クィントゥス・マルキウス・レクス (紀元前68年の執政官) (紀元前 60年)
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