伝記
ヤージュニャヴァルキヤは、古代インドのウパニシャッドに登場する哲人であり、聖仙とも呼ばれる人物である。生没年は明らかではないが、およそ紀元前七五〇年から前七〇〇年ごろの人とされる。ウッダーラカ・アールニの弟子と伝えられ、ヴァイシャンパーヤナにも学んだという。白ヤジュル・ヴェーダの編纂者とされ、その教えを太陽神から授かったという伝説もある。名は祭式を意味する語に由来し、漢訳では祭皮衣仙と呼ばれた。初期のウパニシャッドのうち、とくに『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』の対話では中心的な役割を担い、存在や意識の本質をめぐって議論を重ねている。
その哲学の中心にあるのは、アートマン、すなわち真我についての考察である。世界のすべてはアートマンにほかならず、それは唯一のものであるとした。しかし、アートマンは純粋な認識の主体であるため、ほかの物事のように認識の対象として捉えることができない。そのため、究極的には把握したり言葉で表現したりすることが不可能であると説いた。何かを指し示して説明するのではなく、「これではない、これではない」という否定を通して示すのが、ネーティ、ネーティの教えである。こうした思想から、宇宙の根本原理であるブラフマンとアートマンとが一つである、梵我一如の哲理の先覚者とされる。アートマンとブラフマンの非二元性を指すアドヴァイタという語を用いたことも、その功績とされている。
活動を伝える有名な逸話の舞台は、ヴィデーハ国のミティラーにあったジャナカ王の宮廷である。王が催した祭式と討論には各地の哲学者が集まり、最も優れたバラモンには、角に金を付けた千頭の牛が贈られることになった。ヤージュニャヴァルキヤは、討論に先立って弟子サーマシュラヴァに牛を自宅へ連れて帰るよう命じた。これにほかの聖仙たちが騒ぎだし、なぜ自分が最も優れていると称するのかと問いただした。本人は、最高のバラモンが誰であれ敬意を払うが、自分はただ牛が欲しかったのだと応じたという。その後の討論では、ヴィダグダ・シャーカーリヤをはじめとする論敵を退けたとされる。女性の学者ガールギーも、この場でヤージュニャヴァルキヤを並ぶ者のないバラモンと認めたという。
家庭については、マイトレーイーとカーティヤーヤニーという二人の妻を持ったと伝えられる。カーティヤーヤニーが家庭生活に通じた妻として描かれるのに対し、マイトレーイーは精神的な知を求め、夫と形而上学や神学について対話する女性として登場する。ただし、マイトレーイーには、結婚しなかった学者とする異なる伝承もある。ヤージュニャヴァルキヤには、法を論じた『ヤージュニャヴァルキヤ法典』や、ヨーガに関する著作なども帰せられている。その名は『マハーバーラタ』やプラーナ文献にも現れ、ジャイナ教の古い文献ではジャンナヴァッカとも呼ばれる。法典の冒頭では、ヨーガを行う者たちの王という意味のヨーゲーシュヴァラと称されている。世俗への執着を離れるという教えは、ヒンドゥー教の出家の伝統に関わる思想となった。後にはヨーガ哲学の祖とも呼ばれ、ジャナカ王とともに、仏陀に先立つ思想的な道を用意したとみなす説もある。