HISTORICAL PERSON · 531年没

クロティルダ (西ゴート王妃)

フランク王クローヴィス1世の娘で西ゴート王アマラリックの妃。アリウス派への改宗を拒みカトリック信仰を守ったことが戦争の引き金となり、帰国の途上で急死した。

生涯
531年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

クロティルダは、フランク王国の王女で、西ゴート王アマラリックの王妃となった人物である。クロティルドとも呼ばれ、ラテン語名はクロデキルディスとされる。500年頃に生まれ、531年に没した。没年齢は30歳前後で、生年を497年頃とする説もある。

父はフランク王クローヴィス1世、母はその第二の妻で、同名のクロティルダである。母方の祖父はブルグント王キルペリクとされる。クローヴィスの唯一の娘で、両親に特に愛された子であったともいわれ、511年の父の死には深く心を痛めたという。父の死後、王国はクローヴィスの子らに分けられ、クロティルダはトゥールーズの王国を受け取ったとも伝えられる。

526年頃、西ゴート王アマラリックに嫁いだ。アマラリックは西ゴート王アラリック2世の子で、母は東ゴート王テオドリックの娘である。縁談は父の死後に決まり、兄たちは多くの宝飾品を嫁入り道具として持たせ、クロティルダをヒスパニアへ送り出した。この結婚はフランクと西ゴートの和平を固めるものであり、アマラリックには近隣のフランクとの関係を良くし、王位をうかがう他の貴族に対して自分の立場を強める狙いもあったとされる。当初は両家の関係も良好だった。

しかし、クロティルダはカトリックを、アマラリックと西ゴート族はアリウス派を信仰していた。クロティルダは夫の信仰への改宗を拒み続け、信仰のためなら処刑されてもかまわないと身内にこぼしていたという。トゥールのグレゴリウスによれば、夫は改宗させようとして彼女を虐待し、ミサに向かう彼女に汚物を投げつけることさえあった。殴られて血を流した彼女が、血に染まったハンカチを兄キルデベルト1世に送って窮状を訴えたとも伝わる。一方で、アマラリック自身がフランクの王女に求婚して宗教の異なる夫婦を受け入れていたのだから、この話は信憑性に乏しく、キルデベルトにはスペイン方面の西ゴート領を攻める口実が必要だったのだとする見方もある。

531年、キルデベルト1世とアマラリックの間に戦争が起きた。兄は西ゴート領に攻め入ってナルボンヌ付近で夫を破り、アマラリックはバルセロナへ逃れた。夫はそこで死んだが、死因については、逃走中に命を落としたとも、自軍の兵に暗殺されたともいわれる。キルデベルトはアマラリックの財宝を手に入れ、妹を連れてフランク軍とともに帰国の途についた。しかしクロティルダは道中で急死した。死の状況は記録されていない。遺体はパリに運ばれ、父クローヴィスのそばに当たる聖使徒大聖堂に葬られた。この聖堂は後のサント・ジュヌヴィエーヴ修道院で、いまのパンテオンのある場所にあたる。母や兄弟は深く悲しんだという。アマラリックとの間に子はなかった。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物

該当人物はまだありません。