伝記
トーマス・ベイズは、イギリスの長老派の牧師で、18世紀を代表する数学者・哲学者であり、確率論の確立に寄与した人物である。1701年に生まれ、1761年4月に亡くなった。自らの名を冠した定理の特殊な場合を定式化した人物として知られるが、その最も有名な業績を生前には発表せず、遺稿が死後に編集・公刊された。
ロンドンの長老派の教役者ジョシュア・ベイズの子として生まれた。出生地をハートフォードシャーとする文献もある。シェフィールドにルーツを持つ有力な非国教派の家系に属していた。1719年にエディンバラ大学に入学し、論理学と神学を学んだ。1722年ごろに帰郷してからは、ロンドンの礼拝堂で父を補佐した。1734年ごろにケント州のタンブリッジ・ウェルズへ移り、同地のマウント・サイオン教会で1752年まで教役者を務めた。
生涯の間に出版した著作は、神学と数学の2冊だけが知られている。1731年の神学書は、神の摂理と統治の主要な目的は被造物の幸福であると証明しようと試みたものである。1736年には匿名で、流率法の教説の入門を出版し、ニュートンの微積分(流率法)の論理的基礎を、批判する者から守った。批判したのは、哲学者でもある主教ジョージ・バークリーであった。1742年11月4日に王立協会のフェローに選ばれたが、推薦状にはフィリップ・スタンホープらが署名した。ほかに数学の著作を出版した形跡がなく、この入門書が評価されて受け入れられたのではないかと推測されている。
晩年は確率論に深い関心を持った。この主題に関心を持ったきっかけは、1755年のトーマス・シンプソンの著作を検討したことだとする説、ド・モアブルの書物から数学と確率を学んだとする説、ヒュームが奇跡を証言で信じることに反対した議論に反論しようとしたとする説などがある。1755年には病み、1761年にタンブリッジ・ウェルズで亡くなって、ロンドンのムーアゲートにあり、多くの非国教徒が眠るバンヒル墓地に葬られた。確率論に関する著作や発見は、死後に原稿の形で友人リチャード・プライスに渡された。
逆確率の問題に対する解法は、「偶然の教説における一問題を解くための試論」に示された。これはド・モアブルが提起した同様の問題への解答を含む。論文は死後の1763年に王立協会で読み上げられ、プライスがその発表を取り仕切って、翌年に学術誌に掲載された。この論文は、二項分布のパラメータに一様な事前分布を用いることを、一般的な前提としてでなく論証した点に特徴がある。そこから発展した、ある事象に関する事前の知識に基づいてその確率を記述するベイズの定理は、確率を信頼の度合いとみなすベイズ的な解釈や、新たなデータで確率を更新するベイズ統計学の基礎となった。彼が確立した確率論は、保険数理やリスク管理の理論の基礎につながったとも評価される。ベイズの定理を応用した推計統計学の手法がベイズ推定である。2018年にはエディンバラ大学が彼にちなむ研究拠点を設け、2021年にはロンドンのシティ校の経営大学院が、黒人奴隷貿易に関わった人物の名を外す際に、彼の名を冠した名称に改められた。
同じ年に亡くなった人物
- ターラー・バーイー (1761年没)
- ヨーナス・アルストレーマー (1761年)
- サミュエル・リチャードソン (1761年没)
- ルートヴィヒ・ゲオルク (バーデン=バーデン辺境伯) (1761年没)
- Giovanni Poleni (1761年)
同じ地域に関係する人物
- ジョン・マーシャル (探検家) (1819年没)
- ジョージ・ポーター (2002年没)
- アリス・リデル (1934年没)
- チャールズ・ハーディング (初代ハーディング・オブ・ペンズハースト男爵) (1944年没)
- ロバート・メイナード (1751年没)