伝記
エセルリックは、アングロ・サクソン人のベルニキア王国の王で、572年に没した。知られている限りでは4人目のベルニキア王であり、568年から572年まで統治したとされる。ただし、この在位年代は便宜的なもので、兄弟のアッダやテオドリックと一時期は共同で統治し、それぞれがベルニキアの別の地域を治めていた可能性もあると指摘されている。
出自については伝えが分かれる。『アングロサクソン年代記』は、王国の創建者である初代の王イダの息子の一人としている。一方、ネンニウスの『ブリトン人の歴史』は、アッダの子とする。この立場の違いにより、王位を継いだ先代のアッダは、兄とも父ともされる。在位は568年ごろ、アッダの没後に王位を継いだことに始まるとされ、王名表は4年の治世を与えている。イダの即位を547年と仮定して計算すると、エセルリックの治世は568年から572年にあたるという。
エセルリックの事績は、この時代の記録が乏しいため詳しくは分からない。『アングロサクソン年代記』やウスターのジョンの年代記は、数十年後にデイラを治めた同名のエセルリックと取り違えているともいわれる。それでも、治世中にベルニキアのアングル人がブリトン人と三つの重要な戦いを交えたことは記録に残る。最初の戦いはアングル側が攻める立場で、ストラスクライドないしエボラクムの地で行われ、あとの二つはベルニキアの領内で、守る立場の戦いだったとされる。前任者の方針を受け継いでブリトンの地の征服を進め、デイラのアングル人がエボラクムのブリトン人王国を征服するのを助けたとも伝えられる。
572年に没したが、その死の事情は分かっていない。跡を継いだのは弟のテオドリックである。妻はサセックス王キッサの娘アルギルダと伝えられる。子には、のちにベルニキアとデイラの二つの王国を初めて一人で治めたエセルフリスと、テオドバルドがいる。エセルフリスは592年ごろにベルニキア王となり、この二王国の統合がやがてノーサンブリアと見なされるものを形づくった。テオドバルドは603年のデグサスタンの戦いで戦死したと、ベーダが記している。