HISTORICAL PERSON · 1774年没

オリヴァー・ゴールドスミス

アイルランド生まれの英国の詩人・小説家・劇作家。小説『ウェークフィールドの牧師』はゲーテに「小説の鑑」と評された。喜劇『負けるが勝ち』や長詩『旅人』、詩集『寒村行』も著した。

生涯
1774年没
死亡地
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター / ロンドン)
出生地
アイルランド(Elphin)
出典
世界地図
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター)

伝記

オリヴァー・ゴールドスミスは、1774年4月4日に没したイギリスの詩人、小説家、劇作家で、アイルランドの生まれである。生年ははっきりせず、本人が伝記作者に語ったとされる1728年11月10日とも、1730年ともいわれる。さまざまなジャンルで作品を著した多才な作家で、小説『ウェイクフィールドの牧師』、喜劇『お人好し』と『負けるが勝ち』、長詩『旅人』、詩集『寒村行』が主な作品である。

アイルランドの国教会の牧師の子として生まれた。出生地もはっきりせず、ロングフォード州のバリーマホン近郊か、ロスコモン州エルフィン近くの母方の祖父母の家とされる。祖父は聖職者で、教区学校の校長でもあった。2歳のとき、父が別の教区の牧師に任命され、一家は牧師館に移って、1747年に父が亡くなるまでそこに暮らした。1744年にダブリンのトリニティ・カレッジに入ったが、神学と法律の勉強を怠って成績は最下位に落ちた。1747年には、他の4人の学生とともに監獄を襲おうとした騒動で退学処分を受けた。1749年に学士の学位を得て卒業したものの、教会や法曹の道に進める資格や評価は得られなかった。教育から得たのは、上等な服、カード遊び、アイルランドの歌、フルートへの趣味くらいだったようである。

しばらく母と暮らし、さまざまな職業を試みて、うまくいかなかった。1752年から1755年にかけてエディンバラ大学で医学を断続的に学び、聖職者の準備としてヨーロッパ各地の大学にも行ったが、どこも修了できなかった。フルートを吹いて日銭を稼ぎながら、フランドル、フランス、スイス、北イタリアを徒歩で旅した。1756年にロンドンに移り、薬屋の助手や学校の助教などの職に短く就いた。借金が絶えず、賭け事にも溺れ、出版社のためにグラブ街の雇われ作家として大量の文章を書いたが、数少ない丹念な作品が、サミュエル・ジョンソンとの交友をもたらした。生計のために1760年から雑誌に随筆を寄稿したところ人気が出て、1762年に『世界の市民』という題名で出版された。

1764年に、ジョシュア・レノルズとジョンソンが結成した「ザ・クラブ」の創立会員となった。長詩や喜劇を発表したが、貧しさと病気は変わらず、そのほかにも歴史書や伝記を書いた。ジョンソンは彼の詩を世に広める上で重要な役割を果たしたとされ、その師としての導きで、ゴールドスミスは政治的な著作にも手を広げた。ゲーテは『ウェイクフィールドの牧師』を「小説の鑑」と呼んだ。1774年にロンドンで死去し、テンプル教会に葬られた。のちの19世紀には、ディケンズやオースティンらにも影響を与えた感傷主義文学の重要な人物と見なされた。

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