HISTORICAL PERSON · 紀元前479年没

クレオンブロトス (摂政)

スパルタ王アナクサンドリデスの末子で、レオニダス1世の弟。プラタイアの戦いの将軍パウサニアスの父。レオニダスの死後、幼い王の摂政を務め、地峡の防壁構築の部隊を引き上げた後まもなく死んだ。

生涯
紀元前479年没
死亡地
ギリシャ共和国(ペロポネソス / スパルタ)
出生地
ギリシャ共和国(スパルタ)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(ペロポネソス)

伝記

クレオンブロトスは、紀元前480年から紀元前479年にかけてスパルタ王プレイスタルコスの摂政を務めた人物である。アギス朝の王アナクサンドリデスの末子で、クレオメネス1世、ドリエウス、レオニダス1世の弟にあたる。生年は伝わらず、没年は紀元前479年とされる。後にペルシア戦争のプラタイアの戦いでペルシア軍を破った将軍パウサニアスの父であり、のちにタナグラの戦いで将軍を務めたニコメデスの父でもある。

紀元前480年、兄のレオニダス1世がテルモピュライの戦いで戦死すると、王位にはレオニダスの幼い子プレイスタルコスが就いた。クレオンブロトスはこの甥の後見人となり、摂政として王位を支える立場に立った。ペルシア戦争の第二段階にあたる難しい時期で、アルテミシオンとテルモピュライの戦いの直後のことであった。同じころ、エウリュポン朝側ではレオテュキデス2世が王位にあり、クレオンブロトスはこの同僚とともに摂政の務めを果たしたとされる。

クレオンブロトスはスパルタ軍とペロポネソス同盟軍の指揮を執り、コリントスの地峡へ向かった。ギリシア連合の計画では、ペルシア軍をペロポネソス半島に入れないために地峡を横切る防壁が築かれており、クレオンブロトスはその築造にあたる部隊を率いたのである。一方で、アテナイ人への支援は拒んだともいわれる。やがて防壁の築造にあたっていた部隊を地峡から引き上げたが、その撤退は、昼間に太陽が暗くなる天空の現象が起きたためだったとされる。この現象が日食であるなら、撤退の日付は紀元前480年10月2日にあたるという。

スパルタに戻って間もなく、クレオンブロトスは突然亡くなった。没年は紀元前479年とされる。そののちスパルタ軍の指揮は息子のパウサニアスに移った。王プレイスタルコスがまだ幼く、自ら統治できる年齢でなかったためである。パウサニアスは後に連合軍を率いてプラタイアの戦いで最終的な勝利をおさめることになる。もう一人の息子ニコメデスは、紀元前457年のタナグラの戦いでスパルタの将軍を務め、パウサニアスの子である王プレイストアナクスの摂政にもなった。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物