伝記
アクロタトスは、紀元前265年から紀元前262年までスパルタを治めたアギス朝の王である。アレウス1世の子で、同名の祖父アクロタトスの孫にあたる。祖父はクレオメネス2世の子で、王より先に亡くなったため、クレオメネス2世のもう一人の子クレオニュモスが王位を望んだ。この争いは長老会(ゲルシア)で裁かれたが、結果にクレオニュモスは強い不満を抱いたとされる。
若いころのアクロタトスは、父アレウスの叔父にあたるクレオニュモスの若い妻ケリドニスと密通した。ケリドニスはレオテュキダスの娘とされ、夫のもとを去って彼のもとへ移ったともいわれ、そのことは世間にも好意的に受け止められたとも伝わる。この出来事で面目を失ったクレオニュモスは、王位を得られなかった失望も重なり、紀元前272年にエピロス王ピュロスをラコニアへ呼び寄せた。ピュロスは歩兵2万5000、騎兵2000、象24頭を率いてスパルタに攻め込んだ。
そのとき王アレウスは軍を率いてクレタへ出ていた。留守のスパルタを守るうえで大きな働きをしたのがアクロタトスである。戦いの初日には、スパルタの防御を破ろうとしていたピュロスの子プトレマイオスを、思いがけない攻撃で押し返したという。彼は市の防戦で奮戦し、アレウスの帰国とアンティゴノス2世からの援軍が着くまで持ちこたえ、ピュロスに包囲を解かせた。
アレウス1世はコリントスでの戦いで戦死し、アクロタトスは紀元前265年ごろに王位を継いだ。しかし即位から間もなく、メガロポリスに攻め入って僭主アリストデモスと戦い、戦死した。没年は紀元前262年とされるが、確かな年は分からず、紀元前252年より前であることは確実とされる。このとき妻ケリドニスは身ごもっており、遺児アレウス2世が王位を継いだ。親族のレオニダスが摂政となって幼い王の後見をつとめ、アレウス2世が8歳で病没すると、レオニダスが王となった(レオニダス2世)。
なお、パウサニアスは彼の死に触れて、彼をクレオニュモスの子と記している。これは祖父アクロタトスと取り違えたものとされる。また歴史家ピュラルコスは、アレウスとアクロタトスの親子がスパルタの風習の素朴さを損なったと批判した。
同じ年に亡くなった人物
- フィレモン (紀元前262)
同じ地域に関係する人物
- Pausias (紀元前400)
- クセノポン (紀元前350年代没)
- キュプセロス (僭主) (紀元前625年没)
- Echecrates of Phlius (紀元前400)
- アルキダモス2世 (紀元前427年没)