HISTORICAL PERSON · 1799年没

ジョゼフ・ブラック

スコットランドの物理学者・化学者。潜熱と熱容量の概念を確立し、二酸化炭素(固定空気)を発見した。グラスゴー大学とエディンバラ大学で教授を務め、ワットの蒸気機関開発の相談役でもあった。

生涯
1799年没
死亡地
イギリス連邦(エディンバラ)
出生地
フランス共和国(ボルドー)
出典
世界地図
イギリス連邦(エディンバラ)

伝記

ジョゼフ・ブラックは、1728年4月16日に生まれ、1799年12月6日に没したスコットランドの物理学者であり、化学者である。潜熱と熱容量の概念を確立し、二酸化炭素を発見した人物として知られる。1756年から10年間グラスゴー大学で、1766年から30年余りエディンバラ大学で教授を務め、化学の定量的手法と熱学の普及に貢献した。

フランスのボルドーに生まれた。父ジョンはアイルランドのベルファスト出身のワイン商人で、ボルドーに拠点を持っていた。母マーガレットはスコットランドのアバディーンシャー出身で、やはりワイン商人の家系であった。12人の子のうち6番目にあたる。12歳までは家庭で教育を受け、その後ベルファストのグラマースクールでラテン語やギリシャ語を学んだ。1744年に16歳でグラスゴー大学に入学し、リベラル・アーツを学んだ。1747年に赴任した医学教授ウィリアム・カレンの講義を聞いて、医学と化学に強い関心を持ち、医学の道に進んだ。カレンの実験助手も数年務めている。1752年に医学をさらに学ぶためにエディンバラ大学へ移り、医学博士論文では炭酸マグネシウムによる腎臓結石の治療を扱った。

その論文の基となった、グラスゴーにいた1750年から1752年頃の研究が、マグネシアアルバ(炭酸マグネシウム)の化学的研究である。その中に、今日二酸化炭素と呼ばれる固定空気の発見も含まれていた。石灰石を加熱するか酸で処理すると生じる気体で、空気より重く、炎も動物の生命も支えないことを見出した。石灰水に通すと炭酸カルシウムが沈殿することから、呼吸や発酵でも二酸化炭素が生じることを示した。マグネシアアルバや白亜の加熱の際には、質量の変化を注意深く正確に測り、今日の定量的な化学実験の先駆けとなった。学生の頃の1750年ごろに、軽い梁をくさび形の支点で釣り合わせた分析用天秤も考案した。

1756年にグラスゴー大学に解剖学と植物学の教授として戻り、翌年に医学の教授となった。ここで熱の研究を行い、数学機器の製作者だったジェームズ・ワットと親しくなった。ワットのニューコメン機関の改良は彼にも刺激となり、熱容量や潜熱の研究が進んだという。1760年には、質量が等しく温度の異なる二つの物質を混ぜると、温度変化は異なるが、失われた熱と得られた熱は同じであることに気づき、熱の量と熱の強さを明確に区別して、物質ごとに異なる熱容量の概念を導入した。1761年には、融点にある氷に熱を加えても氷と水の混合物の温度は上がらず、水の量が増えるだけだと見出し、沸騰する水でも同様で、蒸気の量が増えるだけだと見出した。そこから加えられた熱は氷や沸騰水と結合して表に出なくなるとの結論に達した。これが潜熱の概念である。ブラック自身は、熱が何であるかについては態度決定を避けたが、彼の理論はのちの熱素説を助長した。ワットの蒸気機関の開発や起業でも、良き相談者、支援者であった。

1766年にカレンの後を継いでエディンバラ大学の医学と化学の教授となり、1797年まで多くの受講者を引きつける講義を続けて、化学の普及に貢献した。ヒューム、アダム・スミス、ハットンらと交友し、ヒュームの主治医として最期を看取り、スミスの遺稿をハットンとともに編集した。幼少期の感染症による肺疾患と、後年のリューマチに苦しみ、健康には恵まれなかった。1799年12月6日にエディンバラで没した。

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