HISTORICAL PERSON · 紀元前419没

エレトリアのアカイオス

エレトリア出身の劇作家で、悲劇とサテュロス劇を書いた。紀元前447年に初の作品で入賞し、古代にはアイスキュロスに次ぐサテュロス劇の作者とされ、アレクサンドリアの正典にも入った。断片のみ現存。

生涯
紀元前419没
死亡地
—
出生地
ギリシャ共和国(中央ギリシャ / Eretria)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(中央ギリシャ)

伝記

エレトリアのアカイオスは、紀元前5世紀のギリシアの劇作家で、悲劇と半獣神劇(サテュロス劇)を書いた人物である。エウボイア島のエレトリアの出身で、父はピュトドロスという。スーダ辞典によれば、紀元前480年ごろ、エウリピデスと同じころに生まれたとされ、紀元前484年生まれとする記述もある。没年は分かっておらず、紀元前420年から405年のあいだと推定される。私生活については何も分かっていない。オウィディウスの『イビス』には、山中で蜂の針に目をやられて死んだという話があるが、これは伝説とされる。作品数は24、30、44と諸説あり、最大の44は、当時の詩人がディオニュシア祭に悲劇三作と半獣神劇一作を上演したことから、11組の四部作に当たると考えられる。

最初の上演は紀元前440年代の初め、おそらく紀元前447年のディオニュシア祭で、故郷のエウボイアがアテナイに対して反乱を起こす直前だった。スーダ辞典は、このときソポクレスとエウリピデスと競ったと伝える。その年の勝者はソポクレスだったと碑文が示すので、アカイオスは二位か三位になったはずである。エウリピデスの最初の勝利は紀元前441年だからである。一方、この作品が賞を得たとする記述もある。その後の上演についてはほとんど不明だが、勝利を収めたのは一度だけで、時期は紀元前445年から425年ごろの間である可能性が高い。勝利が一度だけだったのは、アテナイの人々が自国民のほかを顕彰したがらず、彼がアテナイ生まれではなかったからだと考える古典学者もいる。

作品はすべて断片でしか伝わらず、完全に残る劇はない。短い断片が数十ある程度で、題名が分かるのは19か20作、全体の半分ほどにとどまる。悲劇は10か11作の題名が知られ、『アドラストス』『アザネス』『アルペシボイア』『エウメニデス』『テセウス』『キュクノス』『モモス』『オイディプス』『ペイリトオス』『トロイアのピロクテテス』『プリクソス』などが挙がる。題名が伝わるのは悲劇11作と半獣神劇7作とする整理もある。なお、碑文に『エルギノス』という題があるが、同名の別の詩人であるシュラクサイのアカイオスの作品かもしれず、確定していない。

半獣神劇には、より多くの断片が残る。『アイトン』『アルクマイオン』『ヘパイストス』『イリス』『リノス』『モイライ』『オンパレ』などで、『オンパレ』は最も断片が多く、同時代のキオスのイオンの半獣神劇と同じ主題を扱っていた。古代には、アイスキュロスに次ぐ第二の半獣神劇作者とみなされた。生き生きとした作風が称賛された一方、やや技巧に走り、明快さに欠けるとも評された。アテナイオスは、明晰な文体だが曖昧に流れる傾向があると記している。エレトリアの哲学者メネデモスはその作品を好んで引用し、アイスキュロスに次ぐものとみなした。

アリストパネスは『蛙』と『蜂』で彼の作品を引いており、アテナイオスは、エウリピデスが彼の一行を借用したとも主張している。こうした引用と、一度の勝利、さらにアレクサンドリア時代まで作品が保存されたことは、彼が紀元前5世紀後半の主要な悲劇詩人の一人だったことを示すとされる。アカイオスは、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス、キオスのイオンとともに、ギリシア悲劇詩人の正典にも名を連ね、ディデュモスが注釈を書いた。ただし、古典期に属しながら、古典作家としては認められていないともいわれる。

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