伝記
ピラ(エリメイアのピラ)は、マケドニア王ピリッポス2世の妃の一人で、上マケドニアの地方エリメイアの王家の出身である。ピリッポス2世の妃としては、のちのアレクサンドロス大王の継母にあたる。生年は紀元前375年ごろとされるが、これは推定にすぎない。
出身については、逍遥学派のサテュロスの記述をアテナイオスが引用した箇所が手がかりになる。そこでピラはデルダスとマカタスの姉妹として挙げられ、エリメイア、すなわちマケドニア南西部の地方の出身とされる。父の名は記されていないが、近代の研究者の中には、マケドニア王国に併合される前のエリメイアの支配者デルダス2世だと見る人がいる。兄弟のデルダスはピリッポスによってオリュントスへ捕虜として連れて行かれた。もう一人の兄弟マカタスは、アレクサンドロス大王の財務官ハルパロスの父だった可能性が高いとされる。
アテナイオスの伝えるピリッポス2世の妃の一覧では、ピラはイリュリアの王女アウダタに次ぐ二番目、ニケシポリスの前に置かれている。サテュロスは妃たちを年代順に挙げたとされるが、結婚が実際にその順で行われたかは確かでない。ピリッポス2世は一夫多妻を行ったため、結婚の順序は研究者にも分かっていない。ベロック、ハモンド、グリフィスらは、ピリッポス2世の結婚はどれも政治的な動機によるものだと指摘し、治世の初めに上マケドニアの王女を迎えることは有利だったと考えた。この結婚で下マケドニアと上マケドニアが和解し、エリメイアの強力な騎兵がマケドニア軍に加わったとされる。紀元前358年にイリュリア人に勝って同盟を結び、その条件としてアウダタとの結婚が行われたあとは、エリメイアは中央の権力にとって脅威でなくなった。このことから、古代の著者が間違えており、最初の妃はアウダタではなくピラだったとする見方がある。ベロックは、アウダタは当初は側室の立場で、ピラが亡くなったのち短期間だけ王妃になったと想定した。結婚が即位前の紀元前360年ごろ、ペルディッカス3世の仲介で結ばれたと考える研究者もいる。ただし、結婚の事情を伝える史料はなく、これらはすべて推測にとどまる。
その後のピラの運命も確かなことは分からない。結婚して間もなく亡くなったのかもしれない。そうでなければ、出身と、エリメイアの貴族との良好な関係を保つ必要から、甥のハルパロスやピリッポスらと同じく、マケドニアの宮廷にとどまっていた可能性がある。
古代の史料には、ピラが産んだピリッポス2世の子の記録がない。夫婦に子がなかったか、あっても幼くして亡くなったのかもしれない。ただしある説によれば、ピラは、ユスティヌスが紀元前336年のアレクサンドロス即位時に処刑された人物として一度だけ挙げるカラノスの母だったともいうが、裏づけとなる証拠はない。
同じ年に亡くなった人物
- オプースのピリッポス (紀元前 400年(推定))
- アルガイオス2世 (紀元前 400年(推定))
- テオス (ファラオ) (紀元前 400年(推定))
- タイス (古代ギリシアの遊女) (紀元前 400年(推定))
- Sirras (紀元前400)
同じ地域に関係する人物
- ヨヴァン・ヴラディミル (1016年没)
- ジャン・マリア・ヴォロンテ (1994年没)
- Antigone (紀元前294)
- コイノス (将軍) (紀元前326年没)
- サムイル (ブルガリア皇帝) (1014年没)