伝記
アミーンは、アッバース朝の第6代カリフ(在位809年〜813年)である。787年4月に、カリフのハールーン・アッラシードと正妃ズバイダの子として生まれた。ズバイダは第2代カリフ、マンスールの血を引く女性で、ハールーンとは781年から782年にかけてバグダードで結婚した。アミーンには786年9月に生まれた異母兄のアブドゥッラー、のちのマアムーンがいたが、その母はペルシア人の奴隷出身であった。これに対してアミーンはアッバース家の純粋な血統を受けており、兄に先んじる地位を得たとされる。
792年、ハールーンはアミーンに忠誠の誓いを受けさせ、「信頼される者」を意味するアミーンの名を与えて、主たる後継者とした。マアムーンが第二の後継者とされたのは799年のことである。兄弟にはそれぞれバルマク家の人物が師としてつけられ、アミーンにはファドル・イブン・ヤフヤーが付いた。802年、ハールーンと有力な官僚たちがメッカ巡礼を行った際に、この取り決めは確認され、公にされた。アミーンはバグダードでハールーンの跡を継ぎ、マアムーンはその後継者として拡大されたホラーサーンを治めるものとされた。第三の後継者のムータミンには、ビザンツ帝国との国境地帯が任された。
こうした複雑な取り決めは、二人の性格も関心も大きく異なっていたために、危うさをはらんでいた。803年1月に宮廷がバグダードへ戻って間もなく、バルマク家が突然失脚した。アミーンは国家の子らと呼ばれる軍人層の側に、マアムーンはバルマク家の側に立ち、両者の溝は日ごとに深まっていたとされ、この失脚も後継の問題と結びついていたと考えられている。その後、中央集権化が進んで、この軍人層が地方総督として各地に送られると、ホラーサーンなどで不満が高まった。808年にはラーフィウ・イブン・アッライスの反乱の鎮圧のためにハールーン自身が東方へ向かい、トゥースで809年3月24日に没した。
アミーンはその跡を円滑に継いだ。ホラーサーン遠征軍の指揮官の多くは、新しいカリフの命令に従ってバグダードへ戻ることを決めたという。アミーンは歴代カリフの中でも屈指の文化人の一人で、国際的な文化を奨励し、自らも教養が豊かであったとされる。詩人のアブー・ヌワースを保護したことは、後世のイスラム文化に大きく寄与した。一方で享楽的で、酒色にふけり、政務は宰相のファドルに任せきりだったともいわれる。
死後は兄のマアムーンにカリフ位を譲るという密約があったとされるが、アミーンはこれを破り、自分の子に譲ろうとして内乱を招いた。兄弟の争いは絶えず、アミーンは異母兄マアムーンとの内戦のなかで廃位され、813年9月24日または25日に殺害された。
同じ年に亡くなった人物
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