HISTORICAL PERSON · 1165年没

Abu'l-Barakat al-Baghdadi

バグダード出身のユダヤ系のイスラーム哲学者・医師・物理学者。後にイスラム教へ改宗した。反アリストテレス的な哲学書『キターブ・アル・ムウタバル』を著した。

生涯
1165年没
死亡地
イラク共和国(バグダード県 / バグダード)
出生地
イラク共和国(バラード)
出典
世界地図
イラク共和国(バグダード県)

伝記

アブル=バラカート・アルバグダーディーは、イラクのバグダードを拠点としたユダヤ系のイスラム哲学者で、医師、物理学者でもある。1080年ごろ、モスルの上流のティグリス川沿いの町バラドに生まれた。もとはヘブライ語の名バルーク・ベン・マルカといい、弟子のイツハク・ベン・エズラからはナタナエルという名も与えられた。のちにイスラム教へ改宗するまでの名である。「時代の唯一の人」を意味するアウハド・アッザマーンの名で知られた。名高い医師として、バグダードのカリフやセルジューク朝のスルターンの宮廷に仕えた。

人生の後半にイスラム教に改宗したが、自分の著作にはその改宗に触れておらず、伝えられる経緯は史料によって食い違う。「傷ついた誇り」からとも、診ていたスルターン・マフムードの妃が死んだことの結果を恐れてとも、カリフの軍とスルターンの軍の戦いで捕虜となり、処刑を恐れてともいわれる。研究者のなかには、都合のためだった可能性が高いとみる者もいる。改宗前のユダヤ教徒だったころ、アブラハム・イブン・エズラの子で、ユダ・ハレヴィの娘婿でもある弟子イツハクに、伝道の書についての長い哲学的な注釈を口述した。アラビア語をヘブライ文字で書いたもので、イツハクはその序文に、師をたたえる詩を寄せた。

著作の『ムタバル(自らの省察で確かめられたものの書)』は、アリストテレス哲学を批判する書である。長年のあいだ哲学書を読みながら書きとめた批評を、友人たちに請われて一冊の哲学書にまとめたもので、イブン・スィーナーに代わる真剣な哲学上の選択肢を示したと評される。そのほか、星が夜に見えて昼に隠れる理由を論じた小論や、知性についての短い論考がある。医学の著作は、処方の記録がいくつか写本で残るだけである。運動については、落下する物体の加速を、速度の増加とともに力の増加が積み重なって起こると説明した。速度と加速度を区別し、力は速度ではなく加速度に比例すると示し、のちの古典力学の基本法則を漠然と先取りするものと評された。運動は相対的で、物体どうしの位置が変わるときだけ生じるとも述べた。時間をアリストテレスのように「運動の尺度」ではなく「存在の尺度」と定義し、神を含むすべての存在に共通の時間が一つだけあると考えた。空間は三次元で無限だとした。魂の統一を支持し、魂が自らを意識することは、魂が身体から独立していて、身体とともに滅びない証拠だと考えた。

アブル=バラカートは1164年か1165年に没した。その思想は、イスラム哲学の照明学派や、ユダヤの哲学者イブン・カンムーナ、キリスト教の哲学者ジャン・ビュリダンやザクセンのアルベルトゥスに影響を与えた。

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