HISTORICAL PERSON · 818年没

エルマンガルド・ド・エスベイ

フランク皇帝ルートヴィヒ1世の最初の妃。のちの皇帝ロタール1世ら6人の子をもうけた。

生涯
818年没
死亡地
フランス共和国(メーヌ=エ=ロワール県 / アンジェ)
出生地
—
出典
世界地図
フランス共和国(メーヌ=エ=ロワール県)

伝記

エルマンガルド・ド・エスベイ(イルミンガルトとも)は、フランク王・皇帝ルートヴィヒ1世(敬虔帝)の最初の妃である。780年頃、あるいは778年頃の生まれとされ、818年10月3日にアンジェで没した。ヘスペンガウ(エスベイ)の伯イングラム(イングハラムヌスとも)の娘で、母はロトルーデ、あるいはバイエルンのヘドヴィヒとも伝えられる。ロベール家の出身だった可能性も指摘されている。

794年ごろ、エルマンガルドは当時アクイタニア王であったルートヴィヒと結婚した。ルートヴィヒにはすでに二人の子がおり、彼女は最初は側妾であったかもしれないともいわれる。夫妻のあいだには、795年生まれのロタール1世、797年生まれのアクイタニア王ピピン1世、799年ごろ生まれのアデライーデ(ベルタとも)、800年ごろ生まれのロトルーデ、802年ごろ生まれのヒルデガルト、そして804年または805年ごろ生まれの東フランク王ルートヴィヒ2世(ドイツ人王)の4男2女が生まれた。ロトルーデはオーヴェルニュ伯ジェラール1世と結婚し、ヒルデガルトは姉の没後に同じジェラールの妻になったとされる一方、ヒルデガルトはランのノートルダム修道院の院長になったという記述もある。

カール大帝は当初、帝国をルートヴィヒとその兄弟ピピン、カールのあいだで分けるつもりだったが、兄弟は810年から811年にかけて相次いで世を去った。813年9月10日、カール大帝はルートヴィヒを後継者と定めて共同皇帝に宣言させ、814年1月28日の大帝の死によって、ルートヴィヒは単独の皇帝かつフランク王となった。エルマンガルドもフランク王妃となり、夫妻は教皇ステファヌス4世によってランス大聖堂で戴冠された。その時期は814年8月とも816年10月5日ともされる。

皇后は夫の心に大きな影響力を持っていたと伝えられる。自分の子らに権力を確保するため、皇室の他の成員を迫害したともいわれ、その進言によって、カール大帝の庶子ドロゴ、ユーゴー、ティエリーは剃髪させられ修道院に幽閉されたという。また、ルートヴィヒの甥でイタリア王のベルナルドは、皇后が遣わしたフランク人の戦士たちを信頼したために、アーヘンへ連行され、反乱を企てた者として818年に死刑を宣告されたという。

エルマンガルドは818年10月3日にアンジェで世を去った。その翌年の819年、ルートヴィヒ1世はユーディト・フォン・アルトドルフと再婚し、のちにこの二人のあいだにシャルル禿頭王が生まれた。エルマンガルドが産んだ子のうち、ロタール1世は西ローマ皇帝・中部フランク王、ピピン1世はアクイタニア王、ルートヴィヒ2世は東フランク王となった。

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