伝記
アリー・ブン・ムハンマド・マダーイニーは、アッバース朝初期のイラクで活動した学者である。正式な名はアブー・アル=ハサン・アリー・ブン・ムハンマド・ブン・アブド・アッラー・ブン・アビー・サイフ・アル=クラシーで、通称をアル=マダーイニーという。イラン系の出自をもち、アラビア語で著作を行った。関心は多方面に及び、200を超える著作を残したが、とりわけ歴史家として知られる。
生涯については、わかっていることが少ない。『イスラーム百科事典』第2版は、本人の語るところによれば752年の生まれとする。第3版は、マルズバーニーを引いて752年または753年の生まれとし、これをおおよその生年とみなしている。753年にバスラで生まれたとする説明もあり、おそらくバスラの生まれで、生涯の大半をイラクの諸都市で過ごしたとされる。一族はイラン系で、本人に由来するとされる伝承からは、ペルシア語を解したことがうかがえる。
マダーイニーとその一族は、預言者ムハンマドの教友で、スィージスターン、ホラーサーン、カーブル、ザーブルスターンなどで戦った初期イスラーム軍の指揮官、アブド・アッラフマーン・ブン・サムラ・アル=クラシー(670年または671年没)のマワーリー(被解放民、庇護下の者)であった。この縁から、第二の名である「アル=クラシー」を与えられた。770年にはバスラにいたが、のちにマダーイン、さらにバグダードへ移り、そこで生涯の多くを過ごした。通称「マダーイニー」の由来は定かでなく、マダーインへの滞在に由来するのかもしれない。バグダードではムゥタズィラ派の学者ムアンマル・ブン・アッバード・アル=スラミー(830年没)に学び、音楽家イスハーク・ブン・イブラーヒーム・アル=マウスィリー(850年没)の庇護を受けて、親密で長く続く友情を結んだ。死去したのもマウスィリーの家であったと伝えられる。没年は、830年、839年、840年、843年と、伝えによって異なる。ただし、著作がムウタスィムの治世にまで及んでいること、死去時に90歳を超えていたと記録されることから、843年とするのが最も確からしい。
著作は動物学、地理学、アラブ文学、詩など多岐にわたるが、大半は歴史を扱い、イスラーム以前から自身の時代までのイスラーム世界の歴史を論じた。ムハンマドとクライシュ族の系譜、地理の研究、詩人や歌い手の伝記のほか、ムハンマドの生涯、イスラーム教徒による征服、正統カリフ、ウマイヤ朝、アッバース朝のカリフの歴史といった、より通常の歴史叙述も含まれる。イスラーム世界の東方、ホラーサーンやインドに関する伝承の信頼できる典拠として、学者たちから特に重んじられた。
歴史家としての方法は、解説者ではなく収集者のそれで、ハディース学者の方法に似ていた。諸々の情報源から適当と考えた部分を選んで著作を組み立て、目撃者から自身の情報源に至る伝承経路(イスナード)をしばしば示した。他の歴史家と異なり、出来事の記述を再現するにとどめ、自分の解説は加えなかった。その著作は、のちの世代の歴史家、バラーズリー、ウマル・ブン・シャッバ、ハリーファ・ブン・ハイヤートらに伝えられた。900年ごろにはタバリーが、その情報を編んで『諸預言者と諸王の歴史』に取り入れ、こうして今日に伝わった。751年に大征服の時代が終わったわずか2年後に生まれたため、中央アジア征服についてはとりわけ生き生きとした詳細な記述が得られ、初期イスラーム拡大期の中でも最もよく記録された出来事の一つになったともいわれる。
同じ年に亡くなった人物
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