HISTORICAL PERSON · 紀元前362年没

マハーパドマ

古代インドのマガダ国に興ったナンダ朝の最初の王とされる。プラーナ文献では古い王朝を次々に滅ぼした王と伝わり、カリンガ国を征服した。アレクサンドロス3世はその強大な国力を見て戦争を避けたという。

生涯
紀元前362年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

マハーパドマは、古代インドのマガダ国に興ったナンダ朝の最初の王とされる人物である。紀元前362年に没したとされるが、生年は伝わっていない。仏教系の史書『マハーヴォディヴァンサ』は、ナンダ朝の始祖をウグラセーナと呼ぶ。この名は「恐ろしい軍隊を有する王」の意とされ、マハーパドマの別名だったとする説もある。マハーパドマという名は「大いなる蓮の主」を意味するという。

出自についての記録は一致しない。プラーナ文献は、シシュナーガ朝の最後の王マハーナンディンとシュードラ(第四の身分)の女性との子とする。ジャイナ教文献は理髪師と娼婦の子とし、ギリシア人クルティウスの記録は理髪師と王妃の子とする。仏教文献はウグラセーナの系譜を「不明」とし、辺境の出身で盗賊の一団に捕らえられ、のちにその首領になったと述べる。ギリシア・ローマ側の記録には、理髪師が王妃の愛人となり、王を暗殺し、王子たちの後見人を装って実権を握り、のちに王子たちも殺したという話がある。クルティウスはこれをポロス王の語った話として伝えている。

即位の年代も確定していない。紀元前382年とする説、紀元前364年とする説、紀元前345年頃とする説などがある。治世の長さもプラーナ文献によって27年、28年、88年と異なり、88年という数字は伝説的とみなされる。一方、後世のカリンガ国やクンタラ地方の伝承や碑文にはナンダ王の支配に触れるものがあり、実在した可能性が高いとされる。

プラーナ文献は、マハーパドマを「唯一の主権者」「すべてのクシャトリヤ(戦士・王族の身分)を滅ぼす者」と呼ぶ。滅ぼされた諸王家として、マイタラ、カーシ、イクシュヴァーク、パンチャーラ、シューラセーナ、クル、ハイハヤ、ヴィーティホートラ、カリンガ、アシュマカの名が挙がる。彼は従来の王たちを服従させて貢納を取り、最も強い王として認められることを望んだのではなく、王位から退けて自らを全土の唯一の王と宣したとされる。カリンガ国を征服し、戦利品としてジャイナ教のジナ像を持ち帰ったともいう。またカリンガの一部、インド中部、アンガ、ガンジス川上流域を併合したと述べ、彼をマガダ初のシュードラ出身の王とする。ナンダ朝は、のちにマウリヤ朝が築く大きな帝国に先立つ、北インド最初の大帝国の基礎を築いたとされる。コーサラ国も彼に屈していた可能性が指摘されている。こうした征服によって、マガダ国の勢力は本来の地域をはるかに越えて広がったとされる。

プラーナ文献は、ヴェーダの権威を認めない自由思想家や新宗教家を保護したことも含め、彼をきわめて否定的に描く。その出現をカリユガ(破滅の時代)の到来とみなす記述もある。またアレクサンドロス3世がパンジャーブ地方に進攻した際、ナンダ朝の国力を強大と見て戦争を避けたと伝えられる。ただしギリシア・ローマの史料が名指しするのは、アレクサンドロス当時のナンダ王であり、これは「アグラメス」と呼ばれる。後継については、プラーナ文献は八人の息子が順に王位を継ぎ、合わせて12年統治したとし、名が伝わるのは長子スカルパだけである。仏教文献では、後の八人は兄弟とされ、最後の王はダナ・ナンダである。仏教の伝承ではナンダ朝の治世は合計22年とされる。ジャイナ教文献には、非暴力のジャイナ教徒カルパカが宰相として仕えたとの記述もある。マハーパドマの子らは権力を保てず、まもなくチャンドラグプタ・マウリヤに倒されたという。

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