伝記
エパメイノンダスは、古代ギリシアのボイオーティア地方の都市テーバイの将軍であり政治家である。エパミノンダスとも表記される。紀元前420年頃(紀元前418年頃とも)に生まれ、紀元前362年に没したとされる。ローマの伝記作家ネポスによれば、父はポリュムニスといい、名門テーバイ貴族の没落した末裔だった。一方、この父の名にも異論が出ており、彼の生涯を伝える史料は現代の歴史家にとって決して多くない。プルタルコスの伝記も失われた。貧しい貴族の家に育ちながら高い教育を受け、とりわけピュタゴラス派の哲学を愛好した。
重装歩兵として軍に加わり、紀元前385年には、ギリシアの覇権を狙うスパルタの援軍として、神聖隊を率いてマンティネイア攻略に参加した。このとき親友のペロピダスが負傷したが、スパルタに救い出されるまで、彼を守り抜いたという。紀元前383年、スパルタはテーバイを併合し、併合に反対する有力者を追放した。ペロピダスは追放されたが、危険がないとみなされたエパメイノンダスは残った。アテナイで祖国解放の機会をうかがうペロピダスから連絡を受け、独立を図った。紀元前379年、ペロピダスの一派による市民の決起が成功し、テーバイはスパルタの支配を脱した。その後はペロピダスの指導のもとでアテナイと結び、スパルタとの戦闘を避けつつ、講和に有利な状況をつくった。だがやがてアテナイとは反目するようになった。紀元前374年の講和会議では、ボイオティア諸都市からの撤退を求めるスパルタ王アゲシラオス2世と決裂し、スパルタはテーバイの攻略を決意する。
紀元前371年、ボイオティア諸都市から集められた軍勢の総司令官として、ペロポネソス同盟軍を率いるスパルタと対決した。これがレウクトラの戦いである。彼は斜線陣を用い、神聖隊を率いて戦い、劣勢でありながら圧倒的な勝利を収め、最強と謳われたスパルタ軍を破った。この戦いでスパルタの軍事的優位は終わり、約200年にわたりスパルタ支配下で隷属していたメッセニアのヘイロタイも解放されたとされる。
紀元前370年にはペロポネソス遠征に踏み切った。途中で指揮権の任期が切れても進軍を続け、スパルタの要衝を攻めたが、アテナイがスパルタの支援を決めたために進軍が難しくなり、帰国した。帰国後、指揮権の無許可延長を違法として死刑裁判を求められたが、自身の演説で窮地を脱した。その後も遠征でスパルタとアテナイに打撃を与えたが、国内の政敵から戦果不足を責められ、政界を追われた。それでも一兵卒として戦い、自軍が待ち伏せに遭って全滅の危機に陥ると、指揮権を委ねられてこれを救った。
紀元前362年、テゲアの出兵要請に応じたテーバイは、マンティネイアと結んだスパルタやアテナイと再び対立し、四度目のペロポネソス遠征を行った。奇襲は成果を上げず、会戦に踏み切った。マンティネイアの戦いで自ら突撃隊を率いて敵を敗走させたが、戦いの最中に槍を受けて戦死した。この戦いで上級将校を全員失い、戦術を継ぐ者がいなくなったため、テーバイは覇権を維持できなかった。その教義を受け継いだのは、テーバイで3年間人質生活を送ったマケドニアのピリッポス2世で、その後、彼と息子アレクサンドロス3世はカイロネイアの戦いでテーバイ軍を破った。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
- Praxilla (紀元前500)
- アゲシポリス2世 (紀元前369年没)
- メガロポリスのフィロポイメン (紀元前183年没)
- メガロポリスのケルキダス (紀元前300)
- Timotheos (紀元前339)