HISTORICAL PERSON · 1869年没

アラン・カルデック

フランスの教育学者・哲学者で、スピリティズムの創始者。カルデックは筆名。交霊会を調査し、霊媒を通じた問答から教えをまとめた。

生涯
1869年没
死亡地
フランス共和国(パリ / 2区)
出生地
フランス共和国(リヨン)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

アラン・カルデックは、1804年10月3日にリヨンで生まれたフランスの教育学者・哲学者で、スピリティズム(心霊主義)の創始者である。アラン・カルデックは筆名で、本名はイポリト=レオン=ドゥニザール・リヴァイユという。法曹の伝統をもつ古いカトリックの家に生まれ、早くから科学と哲学の研究に傾いた。教育は、スイスのイヴェルドンにあったペスタロッチの学校で受け、その方法の優れた門下生、熱心な普及者となった。リヴァイユは貧しい人々のための無料の講座を組織して教えた。

学業を終えるとフランスに戻った。ドイツ語に通じ、教育や道徳に関する書物を、とくにフェヌロンの著作を好んでドイツ語に訳した。パリの歴史協会やアラスの王立アカデミーなどの会員でもあり、アラスのアカデミーが1831年に募った「時代の要請に最もかなう教育制度とは何か」という課題には、リヴァイユの論文が賞を受けた。1832年2月6日にアメリー・ガブリエル・ブデと結婚した。1834年以降は教壇に立ちながら教育に関する著作を発表した。教育者として公教育の民主化に力を注ぎ、1835年から1840年にかけては、パリのセーヴル通りの自宅で、化学、物理学、比較解剖学、天文学などの無料講座を開いた。算数の教科書は数十年にわたってフランスの学校で採用されたという。

転機は交霊術であった。死者との交信をはかる交霊会は、1840年代にアメリカで現れ、1850年代にはヨーロッパのブルジョワのサロンを熱狂させていた。リヴァイユは1854年、旧知の磁気治療師フォルティエから、当時流行した「テーブル・ターニング」の話を初めて聞いたが、さほど注意を払わなかったと、のちに自ら述べている。だが、現象が本物ならば宗教的にも科学的にも非常に大きな可能性があると考え、慎重に調査を始めた。親友の二人の娘が霊媒の能力を示し、「あなたには重要な宗教的使命がある」と告げたという。彼は毎週末その二人の協力で交霊会を開き、人生や宇宙観についての質問に、テーブル・ターニングや自動書記で答えを得ていった。

二年ほどこうした実験を続けたのち、リヴァイユは不可視の存在とその発言を認め、出版を決意した。ひとつの交霊会だけでなく、さまざまな言語の複数の交霊会から霊言を集め、内容を執拗に確認し、細かく比較・検討して絞り込み、編纂した。「アラン・カルデック」の筆名は、ある霊が、二人は前世でガリアのドルイドとして共に生きたと明かしたことによると伝わる。こうして1857年4月18日に『霊の書』が出版され、スピリティズムの創始の標とされた。1858年1月に雑誌『スピリティズム評論』を創刊し、同年に最初の正式な団体、パリ・スピリティズム研究協会を設立した。さらに『霊媒の書』(1861年)、『心霊主義による福音書』(1864年)、『天国と地獄』(1865年)などを刊行した。

晩年は、スピリティズムの普及と、反対者に対する擁護に力を注いだ。1869年3月31日、パリで動脈瘤の破裂により六十四歳で亡くなった。磁気とスピリティズムの関係を論じる著作に取り組み、仕事場の移転を準備していたさなかだったという。ペール・ラシェーズ墓地に葬られ、墓はドルイドの巨石墓のように築かれた。この思想は十九世紀後半のフランス社会の無視できない潮流となり、とくにリヨンでは労働者が伝播の役割を果たした。今日ではブラジルに多くの支持者がいる。一方で、骨相学や人種についての発言には論争もある。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物