伝記
イプタル・シンは、古代アッシリアの王である。綴りの読み方は確定しておらず、イブタル・シンとも表記される。アッシリア王名表では51番目の王に数えられ、紀元前17世紀のうちに12年間在位したとされる。没年は紀元前1650年ごろともいわれる。
在位年代については説が分かれる。紀元前1641年ごろから前1630年ごろまで統治したとする年代観があり、その場合は在位を9年とする数え方もあって、12年とする説と並んでいる。また、紀元前1660年ごろから前1648年ごろまでとする推定もある。いずれにせよ、王名表が伝える12年という数字が、この王の治世を示す基本の手がかりである。
出自について、王名表は彼をシャルマ・アダド1世の子とする。王名表には短い治世の王が5人続き、父子相続の形で並べられているが、ランズベルガーはリバヤ、シャルマ・アダド1世、イプタル・シンの三人が、ベル・バニの子孫ではなく兄弟だった可能性を示した。別の断片の王名表ではこの王が省かれており、記録の残り方は一様ではない。同期王名表ではリク・クド・シャマシュという名で現れ、バビロニアの同時代の王として、海の国王朝のグルキシャルとその子ペシュガルダラメシュの治世の間に差し込まれた、素性不明の人物が対応させられている。
後継者はバザヤである。バザヤをイプタル・シンの子とする記述がある一方、ホルサバード王名表ではバザヤはベル・バニの子であり、イプタル・シンから見て叔父にあたるように現れる。その場合、イプタル・シンは若くして亡くなり、おそらく子がないまま直系が絶えたため、一族の最年長者か最も近い親族であるバザヤが王に定められたことになる。もっとも、バザヤの治世が28年と長いことは、彼がイプタル・シンの子だったという見方に有利に働く。
この王の治世の出来事はほとんど分かっていない。王自身の碑文はこれまでに見つかっておらず、知られるのは主に王名表の記載による。バビロニア人とアモリ人がリバヤを退位させたのちにイプタル・シンを王に立てたと述べる記述もあるが、その治世の詳しい経過は伝わっていない。