伝記
ジョルジュ・サンドは、1804年7月1日にパリで生まれたフランスの作家で、初期のフェミニストとしても知られる。本名はアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパンである。父モーリス・デュパンは軍人貴族で、母ソフィー=ヴィクトワール・ドゥラボルドは庶民の出だった。父方の曽祖父には、フランス元帥で軍事思想家のモーリス・ド・サックスがいる。父が早く亡くなったため、子ども時代の多くはベリー地方ノアンにある父方の祖母の館で過ごした。1821年に祖母が亡くなると、この館を相続している。田舎での暮らしは、のちに『魔の沼』『愛の妖精』などの田園小説の題材となった。
1822年、18歳でカジミール・デュドヴァン男爵と結婚し、息子モーリスと娘ソランジュをもうけた。しかし、まもなく別居し、多くの男性と恋愛関係を持った。1831年には、恋人でもある作家ジュール・サンドーとの合作で処女作『ローズとブランシュ』を書き、これ以後「サンド」の筆名を使うようになった。筆名は、二人が合作で用いた「J・サンド」に由来し、ジョルジュを足して、サンドーの名と区別したものだった。その後『アンディアナ』で注目された。また、男装して社交界に出入りして話題を集めた。1831年には男装の許可を得ており、普通の貴婦人の服より安価で丈夫なことをその理由とした。男装は、パリを自由に歩き回り、女性を拒む場所へ出入りすることも可能にした。人前で煙草を吸う姿も醜聞となったが、彼女の態度を受け入れる人は多く、作品の反抗的な調子が衝撃を与えるまでは、とがめない人も少なくなかった。ヴィクトル・ユゴーは「ジョルジュ・サンドは男か女かを決められない。私は同僚をみな尊敬しているが、彼女が姉なのか兄なのかを決めるのは私の役目ではない」と評した。ジュール・ジャナンは、彼女を「現代の小説家の王」と呼んだ。
1833年から翌年にかけては詩人アルフレッド・ド・ミュッセと、またプロスペル・メリメとも、その後は医師パジェロ、音楽家リストとも関係があったとの説がある。さらに、フレデリック・ショパンとは、1838年のマジョルカ島への逃避行から始まり、1839年からはパリで同棲した。夏の休暇はノアンで過ごしたが、子どもたちをめぐるトラブルなどが原因で別れた。ショパンとの関係を暴露した小説とも言われるのが『ルクレツィア・フロリアーニ』である。
1840年代には政治への志向を強め、民主主義や社会主義の思想を抱いて、アラゴやマルクス、バクーニンら思想家や活動家と交流した。1848年の二月革命には政治活動に参加したが、のちにノアンに隠棲して執筆に専念した。その後も女性の権利拡張運動を主導し、文学作品を書き続けて、ユゴー、フローベール、ゴーティエ、ゴンクール兄弟ら多くの文学者と友情を結んだ。イギリスでは1830年代から40年代にかけて、ユゴーやバルザックより名が知られていた。作品は、物語や戯曲、政治的な文章などを含め50巻以上、長編小説だけで70にのぼる。代表作に『魔の沼』『笛師の群れ』、自伝『わが生涯の歴史』がある。1876年6月8日、腸閉塞のためにノアンの館で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- フィリップ・マインレンダー (1876年没)
- フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ (1876年没)
- ヘルマン・ゲッツ (1876年没)
- トルガナンナ (1876年没)
- ジョン・フレデリック・ルイス (1876年没)
同じ地域に関係する人物
- ソフィア・ヤブロンスカ (1971年没)
- ルイ・バスティアン (1963年没)
- E・W・ホーナング (1921年没)
- ジャン・ド・ベタンクール (1425年没)
- アルフォンス・ボレリー (1926年没)