HISTORICAL PERSON · 904年没

ヤフヤー3世

イドリース朝の統治者。フェズのカラウィーイーン地区の住民に求められ、占拠したハワーリジュ派の反乱者を追い払ったと伝わる。

生涯
904年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ヤヒヤー・イブン・アル=カースィム(ヤヒヤー3世)は、モロッコ一帯のイドリース朝の君主である。イドリース朝の第2代君主イドリース2世の年少の息子であるカースィムの子で、「アル=ミクダーム」という通称で知られた。

父カースィムの家系は、タンジェ、バスラ、セウタなどの北モロッコの諸都市を押さえ、860年代には一時、首都フェスの西半分まで支配したとされる。父の死後、家系の領地であるタンジェ方面のアシラー一帯を継いだともいわれるが、その時期は分かっていない。

フェスでは、ハワーリジュ派(スフリー派)の反乱者アブド・アル=ラッザークが蜂起し、従兄弟にあたる君主アリー2世がフェスから逃れた。これは883年のこととされる。アブド・アル=ラッザークはアンダルス地区では受け入れられたが、カラウィーイーン地区の住民はこれを認めず、有力者たちがヤヒヤーに救援を求めた。ヤヒヤーは兵を率いて駆けつけ、アンダルス地区を占領して反乱者の首領を追い払い、町全体で君主として迎えられたという。出陣の前に白い布の天幕を張らせたことから、「布にかかわる者」を意味する称号を得たとも伝えられる。

しかしその後も、山地に残るスフリー派の反乱勢力との戦いを続けねばならず、それが彼の力を弱めた。やがてアリー2世の甥にあたるヤヒヤー・イブン・イドリースが反乱を起こす。ヤヒヤー3世はこの戦いに敗れ、ヤヒヤー・イブン・イドリースに仕える将軍ラビーウ・イブン・スライマーンによって討たれた。没年は904年とも905年ともいわれる。墓は、ジョタという村にあるとされる。跡を継いだのは、勝者のヤヒヤー・イブン・イドリース、すなわちヤヒヤー4世であった。

なお、現代の歴史家の中には、ヤヒヤー3世のフェス支配はそれほど長く続かなかったと見る者もいる。877年にはおじのダーウードがフェスを治めていたらしく、880年から893年のあいだは、別のおじのイーサーの系統の者たちが首都を治めていたことが貨幣の証拠から示されるからである。伝統的には第8代のイドリース朝君主に数えられている。

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