HISTORICAL PERSON · 紀元前326年没

アダ (カリア)

ヘカトムノス朝の一員でカリアの女王。当初はペルシアのサトラップとして、後にアレクサンドロス3世の後援を受けて女王としてカリアを統治した。

生涯
紀元前326年没
死亡地
トルコ共和国(ムーラ県 / ハリカルナッソス)
出生地
トルコ共和国(ムーラ)
出典
世界地図
トルコ共和国(ムーラ県)

伝記

アダは、紀元前4世紀半ばのカリアで、ヘカトムノス朝の一員として統治にあたった女性である。最初はアケメネス朝ペルシアのサトラップとして、のちにはアレクサンドロス3世の後援のもとで女王としてカリアを治めた。活動した年代は紀元前377年から紀元前326年ごろとされる。サトラップとしての在位は、紀元前344年から紀元前340年までと、紀元前334年から紀元前326年までの二つの時期に分けて数えられることがある。

アダはカリアのサトラップ、ヘカトムノスの娘で、マウソロス、ピクソダロス、アルテミシア2世、イドリエウスの姉妹であった。母の素性ははっきりせず、ヘカトムノスの妹のアバだった可能性が指摘されているが、これには異論もある。きょうだいのうち4人は互いに結婚し、マウソロスはアルテミシア2世と、アダは兄弟のイドリエウスと結ばれた。ピクソダロスだけは家族の外から妻を迎えた。ヘカトムノスの子はみな、いずれかの時点でカリアを統治した。まずマウソロスとアルテミシア2世が共に治め、マウソロスの死後はアルテミシア2世が単独で統治したが、紀元前351年に没したともされ、紀元前344年とも伝えられる。

マウソロスはカリアの勢力を広げ、アルテミシアはそれを固め、イドリエウスは名声を高めたとされる。続いてイドリエウスとアダが7年間共同で統治した。この間、二人はギリシア世界との結びつきを保ち、テゲアのアテナ神殿への寄進者として名が見え、デルフォイの有力な後援者でもあったらしい。イドリエウスの死後、アダは単独のサトラップとなったが、紀元前340年に弟ピクソダロスに追われた。夫が地位をアダに残したことを、ピクソダロスが侮辱と受け取ったためとも説明される。ピクソダロスは首都ハリカルナッソスを押さえたものの、アダは各地の支持を受けてアリンダの要塞を確保し、そこで亡命政権として支配を続けた。紀元前335年にピクソダロスが死ぬと、その娘婿であるペルシア貴族オロンテバテスが後任となった。ダレイオス3世がスサから送り込んだ人物で、彼がすでに一族に加わっていたため、アダが認められなかったのだろうとも推測されている。

紀元前334年にアレクサンドロス大王がカリアに入ると、アダは彼を訪ね、地位の回復への助力を求め、周辺でなお抵抗する地域の服従に協力すると申し出て、彼を養子として迎え、アリンダを差し出した。アレクサンドロスはこれを受け入れ、見返りにハリカルナッソス攻囲戦の正式な指揮権をアダに与えた。同市の城壁はマウソロスが築いたもので、守るのはロドスのメムノンという優れた将軍が率いるギリシア人傭兵だったため、攻略は容易ではなかった。アレクサンドロスは東へ進む必要があり、攻囲はアダ自身が進めたともいわれ、町は約1年で降伏したとされる。陥落後、アレクサンドロスはアリンダをアダに返し、彼女をカリア全土の女王とした。アダが民衆に人気があったことが、カリア人のアレクサンドロスへの忠誠を確かなものにした。オロンテバテスのその後は分かっていない。アダはリュディアのサトラップ、アサンドロスの保護下にあったともいわれる。その後の消息はほとんど分からないが、紀元前326年ごろまでカリアの支配にあったとみられる。

トルコの考古学者らはアダの墓が発見されたと主張しており、その遺骨とされるものはボドルムの博物館に展示されているが、この説は決着していない。アダは小説『神々の声』にも登場する。

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