伝記
アルテミシア2世は、古代のカリアの支配者である。カリアの王マウソロスの姉妹であり、のちに妻となり、その後継者として海軍戦略家、司令官の顔も持った。マウソロスはアケメネス朝のサトラップ(総督)だったが、ヘカトムノス朝の王に等しい地位を享受していた。没年は紀元前351年とも紀元前350年ともいわれる。
父がヘカトムノスであることは知られるが、母の素性ははっきりしない。ヘカトムノスの姉妹であるアバが母だった可能性も指摘される。だが、ヘカトムノス朝の兄弟姉妹間の結婚は象徴的なものにすぎなかったとみる研究者はこの見方に異を唱えており、アダがヘカトムノスの配偶者として確認される一方で、彼女が子らの母だったかどうかは分からないという。
夫であり兄弟でもあるマウソロスの死後、アルテミシアは紀元前353年から紀元前351年までの二年間、統治にあたった。女性が君主になったことに反発して、支配下の島や沿岸のいくつかの都市で反乱が起きたが、政権は夫と同じ方針で運営され、とくにロドス島の寡頭派を支持した。アテナイの海上優位が衰えた後のエーゲ海の軍事・政治にも、艦隊を率いて関わった。ロドスは女性がカリアを治めることに不満を示し、艦隊を送ってきた。しかし亡き夫が秘密の港を造っていたことを知らなかった。アルテミシアは漕ぎ手と海兵を隠したまま、ロドス勢を主港に入れさせた。市民とともに城壁で出迎えて市内へ招き入れ、ロドス兵が船から降り始めると、艦隊を海の出口から主港へ進入させた。空になった船を奪い、上陸した兵は広場で殺された。そのうえで自軍の兵をロドスの船に乗せて戻らせると、ロドスの港では味方として迎えられ、そのまま島を乗っ取ったという。
ポリュアイノスの『戦術書』第8巻には、アルテミシアがラトモスを攻略した話も載る。ただしこれは1世のアルテミシアを指すかもしれず、2世の可能性のほうが高いとされる。市の近くに伏兵を置き、自分は女性、宦官、楽士を連れて、市から約7スタディオン離れた神々の母の聖なる森で供犠の祭りを行った。壮麗な行列を見ようとラトモスの住民が出てきたところで、兵が市に入り占領したという。ロドスの征服を記念して、彼女は島に青銅像も立てた。ロドス島を表す像に焼き印を押す姿を表したもので、ロドスの女神ロドスが擬人像として表された可能性もある。解放されたロドス人はそこに近づけないようにしたため、後世にはアバトン、すなわち「踏み入るべからず」「近づけない」の意で呼ばれた。
アルテミシアは、夫への並外れた悲しみで歴史に名を残した。夫の灰を毎日の飲み物に混ぜて飲み、夫の死後に生きた二年のあいだに次第に衰えていったと伝えられる。また最も名高いギリシアの弁論家たちに夫を称える弁論をさせ、夫の記憶を残すためハリカルナッソスに霊廟を築いた。これはシドンのアンティパトロスが世界の七不思議の一つに数え、のちに壮麗な墓碑一般を指す「マウソレウム」の語源となった。夫の灰を飲む場面はルネサンス以降の絵画の題材となり、17世紀半ばのオランダ絵画で流行して、レンブラントも描いた。これは1614年にヴァレリウス・マクシムスの逸話集のオランダ語訳が出版されたことが刺激になったらしい。絵では常に杯か壺とともに描かれる。ボッカッチョは『名婦伝』で、夫が兄弟でもあったことには触れずに彼女を貞節な寡婦の、最も純粋で稀な愛の永遠の模範と称えた。