伝記
アラニ・ヤーノシュは、1817年3月2日にハンガリー王国ナジサロンタ(現在のルーマニアのサロンタ)で生まれ、1882年10月22日にブダペストで没したハンガリーの詩人・作家・翻訳家である。ジャーナリストでもあり、100を超えるバラッドを書いたことから「バラッドのシェイクスピア」とも呼ばれ、それらは50以上の言語に訳されている。没落した貴族の家庭に10人きょうだいの末っ子として生まれたが、結核が家系に多く、幼少期を過ぎて生き延びたのは二人だけだった。生まれたとき姉のサーラはすでに結婚しており、父ジェルジュは60歳、母サーラ・メジェリは44歳であった。幼いころから父に口承文芸を聞いて育ち、読み書きも早く、ハンガリー語とラテン語で手に入るものは何でも読んだと伝えられる。両親の生活を支える必要から、14歳のとき助教師として働き始めた。
1833年にデブレツェンの改革派学院に入ってドイツ語とフランス語を学んだが、学究生活にはすぐ飽きて、一時は旅役者の一座に加わった。のちにナジサロンタ、デブレツェン、ブダペストで、教師、新聞編集者、各種の書記として働いた。1840年にジュリアナ・エルチェイと結婚し、二人の子をもうけた。娘のジュリアンナと、のちに詩人となり、ハンガリーの民話の収集家にもなった息子である。1846年から1879年にかけて、14世紀の騎士を主人公とする全3部の長編叙事詩『トルディ』三部作を著した。『トルディ』はカリスファルディ協会の懸賞で入賞し、これを機に、のちに親友となる詩人ペテーフィ・シャーンドルと親しくなった。1848年のハンガリー革命でのペテーフィの死は、彼に大きな衝撃を与えた。1848年には『トルディの夜』を書いた。
ナジケーレシュの学校で教師を務め、同地の博物館は彼の名を冠している。1858年にハンガリー科学アカデミーの会員に選ばれ、1865年からは事務局長を務め、国内最大の文学団体カリスファルディ協会の会長にも選ばれた。叙事詩では民族の伝説的・歴史的な過去を描き、1863年にフン族の伝説に基づく『ブダの死』を発表した。フン族三部作の第1部として構想されたもので、ハンガリー文学屈指の叙事詩と評される。ほかの部は未完に終わった。有名な「ウェールズの吟遊詩人」は、フランツ・ヨーゼフ1世が革命鎮圧後に初めてハンガリーを訪れた際に書かれた。皇帝を称える詩を求められながら、エドワード1世のウェールズ征服を題材にし、オーストリアによるハンガリーの扱いに重ねたものである。
シェイクスピアの『夏の夜の夢』『ハムレット』『ジョン王』をハンガリー語に訳し、歴史に残る名訳とされる。アリストファネス、レールモントフ、プーシキン、モリエールの翻訳もある。1865年に娘ジュリアンナが早世すると、詩作を中断し、1877年の夏に『秋の花』の連作に取りかかるまで、独自の作品を書かなかった。老いや死の接近を主題としたこの連作は、それまでの作品とは大きく異なる。1879年には『トルディの恋』を著した。ブダペストで亡くなり、今日では、ペテーフィ、アディ・エンドレ、ラドノーティ・ミクローシュ、ヨージェフ・アッティラとともに、最も偉大なハンガリーの詩人の一人とされる。
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