伝記
ロクサネは、バクトリア(ソグディアナとも)の王女で、アレクサンドロス3世(大王)が最初に迎えた后である。名は古いイラン語で「輝く、まばゆい」を意味する語に由来するとされる。正確な生年は分かっていない。紀元前343年以前の生まれとされ、紀元前326年には出産可能な年齢にあったことから紀元前336年より前の生まれと推定する説もある。没年は紀元前310年ごろとされる。
父はバクトリアとソグディアナの総督だった貴族オクシュアルテスである。彼はバクトリアの太守ベッソスに仕えており、最後のアケメネス朝の王ダレイオス3世の殺害にも関わった可能性がある。ベッソスが捕らえられたのち、オクシュアルテスは家族とともに北へ逃れ、ソグディアナの武将スピタメネスとともに「ソグディアナの岩」と呼ばれる要塞に拠ってマケドニア軍に抵抗した。しかし最終的には敗れる。その後の祝宴でアレクサンドロスは彼女を見てひと目で恋に落ちたと伝えられる。祝宴の場所については、この岩の要塞だったとする説、別の要塞だったとする説などがあって定まらない。古代の著述家アッリアノスは、娘が手厚く迎えられたと知って父が降伏したと述べている。
結婚は紀元前327年に行われ、大半の史料はペルシア式でなくマケドニアの伝統に従った式だったとする。史料は一致して大王の深い愛情を語る一方で、ソグディアナの制圧に手こずっていた彼にとって、この結婚は現地の勢力を味方につける政治的な同盟でもあり、結婚後にバクトリアとソグディアナの軍は忠誠を強めたとも指摘される。側近たちは、マケドニアやギリシアの妃を望んで反対したという。ロクサネは紀元前326年のインド北部遠征に同行し、最初の息子はその折に、11月、アケシネス川の岸で幼いまま亡くなったと多くの学者は考える。大王は帰還後、彼女の兄弟を精鋭の騎兵に昇格させたが、ペルシア人に統治を受け入れさせるため、ダレイオス3世の娘スタテイラとも結婚した。
紀元前323年、バビロンで大王が突然死ぬと、ロクサネは妊娠中だった。宮廷では、ペルシア化に反対する兵士たちと、ペルディッカスら忠臣たちとの間に緊張が走った。彼女は別の后スタテイラを殺し、プルタルコスによれば、ペルディッカスの同意を得てその姉妹ドリュペティスも殺害させたと信じられている。一時の妥協として、ピリッポス・アリダイオスが王に立てられ、生まれる子が男児なら共同の王となる取り決めになった。同年、ロクサネは男児アレクサンドロス4世を産んだ。その後、母子はマケドニアで大王の母オリュンピアスの保護を受けたが、紀元前316年にオリュンピアスが暗殺されると、カッサンドロスによってアンピポリスの城に幽閉された。紀元前315年にはアンティゴノスがその扱いを非難し、紀元前311年の和約では少年の王位が確認されたが、カッサンドロスはその後見人とされた。
その後、カッサンドロスはマケドニアのグラウキアスに母子の殺害を命じ、二人は紀元前310年の春に殺されたと考えられている。死はその夏まで伏せられたという。バルシネの子ヘラクレスも殺され、アルゲアス朝は終わりを迎えた。後世には、アクロポリスにアテナへの奉納を記した碑文が見つかり、ルキアノスは画家エキオンによる二人の結婚の絵を伝え、小惑星317番にも彼女の名が付けられている。
同じ年に亡くなった人物
- ロドスのメントル (紀元前309年没)
- ニカノル (太守) (紀元前 309年)
- 恵施 (紀元前 309年)
- 扁鵲 (紀元前 309年)
- アレクサンドロス4世 (紀元前309年没)
同じ地域に関係する人物
- Marsyas of Pella (紀元前360)
- アルガイオス1世 (紀元前640年没)
- コンスタンティノス・ドゥーカス (1095年没)
- ローラーント・ジュラ (1981年没)
- アガトーン (紀元前400年没)